世の人々は誰しも愛を求めて生きています。

親から子への愛、恋人からの愛、旦那・妻からの愛・・・愛は物質的に目には見えません。

目に見えないからこそ理解するのが難しいものであって、私たちは真の愛を見失ってきました。

それは、俗に言う愛ではありませんでした。

私はずっと愛という意味をわからずに生きてきました。

Raptさんの御言葉に出会うまで。

○Rapt有料記事

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その昔付き合っていた人に言われたことがあります。

「自分の愛する人(彼のこと)を街中で偶然見つけたら、(私は)声をかけたいと思わないのか?」

私の心の中での答え(素直な気持ち)は「愛する人って誰のこと?」でした。なので、声をかけたいと思うか思わないか、「思いません」でした。

声をかけるとしたら、「知っている人だから」と考える方がしっくりきました。

ではなんで付き合っていたんだ?と言われてしまうでしょうが、正直わかりません。わかるのは愛していたから付き合っていたわけではないこと。

仕事ばかりしていた30代前半、いつも疲れていたし、いつも何かに不安を抱えていたし、独身のまま人生を生き抜く覚悟もできていなかったし。

そんな時に現れた彼だったので、この負の状況が少しでも変われば?と淡い期待があったのだと思います。

今思えば、彼と付き合ったことでさらなる面倒な感情に振りまわされることになりました。

私が男性の同僚と話して入れば、「俺のことは気にならないのか」と言われたり、私が彼を尊敬していないのが言葉尻から感じられたのでしょう、何度とブチギレては私の部屋から出て行きました。

その度に私は、「あー一人の時間ができてよかった」と思っていました。

私の部屋を出て、彼はタバコを吸いに行っていました。

私はタバコが異常に嫌いだったので、彼はタバコを辞めようとして頑張ってはいましたが、怒ったりした時には感情を抑えられなくなるのでしょう。

精神を安定させるためにタバコを吸って、それを隠すためにガムを食べて(隠せないけど)、そうして私の部屋に戻ってこようとチャイムを何度と鳴らしました。

そんなブチギレも一度二度くらいまでは我慢しましたが、三度目がやってきた大晦日の日に私は別れることにしました。

世の中の人々は恋人を作って、どれだけ愛を感じているんだろう?疑問でした。

親からの愛は感じて育った割に、昔からどこか冷めていた私は、恋人を欲しいと思ったことはあっても、愛を真剣に欲しいと考えたことはありませんでした。

「恋人=愛」という勘違いをしていたからだと思います。

だから恋人ができてもときめくこともあまりありませんでした。友達が恋人と結婚していくのを見ては、私も想像してみたりするのですが、「みんなどれくらい愛して結婚するんだろう?」という疑問だけしか湧いてきませんでした。

そんな私もこれが本当に誰かを好きっていう気持ちではないかと錯覚した彼がいました。彼はユダヤ人系カナダ人でした。

日本で英語教師をしたことがあった彼は、日本に滞在中には相撲を取ったりもしたようで、変わった人だなと当時思っていました(今思えば悪魔教繋がり…)。

○神道とユダヤ教と悪魔教のつながり。悪魔教が日本に伝わった経緯。

彼はヒッピーに傾倒していて、パープルのジーンズを履いていたり、タイダイのTシャツを着たり、ピースマークのベルトをしたり。とても特徴的な人でした。

○悪魔崇拝を世界中に広めたニューエイジ・ムーブメントの恐怖。

彼の行動や考え方が私が今まで出会って来た人たちとは全く違ったので、色々と新鮮に映りました。

それに英語は実践で練習できるし、外国で一人でいるよりも心強いし、そういう気持ちもありました。

また、カナダに長く残りたいという気持ちが出て来たこともあって、彼への気持ちも強くなって行きました。

こうして、愛する気持ちの履き違えが起きたわけですが、ワーホリのビザが切れて帰国するときに、彼との関係は終わりました。

「君は自然を愛していない」

余談ですが、カナダには日系カナダ人の環境活動家、デービッド・スズキがいます。彼の娘セヴァン・スズキは、最近出てきた16歳の環境活動家グレタの前身的存在でした。

○RAPT×読者対談〈第87弾〉過剰な健康・環境ブームも悪魔崇拝から始まった詐欺目的のデタラメ話。

当時の私の彼はデービッド・スズキの活動にも共感していました。

「君は自然を愛していない」は、私に対する別れる理由でした。

彼は夏の週末の間にキャンプのガイドをしていました。国立公園などにキャンプ好き、旅行好きな人たちを連れて行っていたほど、彼は自然が好きだったようです。

私も一度その彼にキャンプに連れて行かれましたが、カヌーを漕いだり、途中にはカヌー担ぎながら歩いたり、火を起こしたり、そんなこと上手くできませんでした。

そんな使えない私に愛想つかしたのもあるのでしょう、自然を愛していないレッテルを貼られてしまいました。

正直意味がわかりませんでしたが、このようにわからないことすら、考え方が違う変な新鮮さを持って、当時は勘違いな気持ちを愛だと思っていたので、お別れの時は辛かったです。

「時間が解決する」そう言われて、帰国しました。本当に時間が解決してくれました。真の愛ではなかったから。

それから20年ほどが経ってRaptブログに出会いました。

ユダヤと日本の深いつながりや、ニューエイジについて読んだときに、私が経験した彼との恋愛、彼自身が悪魔を崇拝していたわけではないけれど、悪魔崇拝者によって世の中の人々は長い間洗脳され、「自由・平等・博愛」という作られた概念、罠の元に生活をしてきたのだということが、はっきりとわかりました。

そしてRaptさんの御言葉を聞くようになってから、世の中の人々がいかに愛の意味を履け違えているかがどんどんわかるようになってきました。

同時に、私にとってずっと疑問だった愛のこと、しっくりこない、愛がわからなかった気持ちを理解することができるようになりました。

私たちが愛だと思ってきたのは、世界を支配する人たち、イルミナティによって作られてきた悪魔思想。

○悪魔崇拝はあるのか? エリザベス女王とローマ法王による5万人の幼児虐殺事件について。

○世界を支配しているのはイエズス会 (イルミナティ) であり、イエズス会のトップは天皇です。

彼らの仕掛ける巧妙な罠に私たちはハマるようにされてきました。悪魔崇拝者たちは、世の人々のモラルの低下を企んできました。

ニューエイジのヒッピーなんかは典型的なわかりやすい例です。

自由や、平等や、愛を求めているにも関わらず、彼らの行いは、フリーセックスだの、男女平等という概念を表すのにフェミニズムだの、終いには、LSDやマリファナでトリップすることすら正当化する有様。

最近で言えば、LGBTも要は同じようなものですね。

○「LGBT」は利権。LGBT推進の犯人はカルト宗教「大本教」・「生長の家」です。

ヒッピーやLGBTがしていることは、悪魔崇拝者によって仕掛けられた罠にハマって、自らのモラルの低下に貢献する以外の何者でもありません。

現に彼らは神様の御言葉である聖書を悪用してきたのです。

悪魔崇拝者たちは、反キリスト教をうたい、真の愛である神様に反逆し、その真の愛を人々に知られないように隠し続けてきました。

○キリスト教は悪魔崇拝者によって内部から破壊された。その歴史の詳細について。

そうしてキリスト教は禁欲だと人々に誤解を与え、反キリスト運動としてヒッピーやLGBTを誕生させて、世の人々を巻き添えにしてきました。

それを知らない人々は、これらの運動に参加して、知らずのうちに神様に反逆行為を行ってきているのです。なんと恐ろしいことでしょう。

こういった世の中の仕組みを理解しないことには、真の自由も、平和も、愛も得られないわけです。

真の自由を求め、あらゆる人生の悩みから解放されたい人へ。Raptブログは人生のバイブルです。

Raptブログがこれら全てを教えてくれました。聖書こそ真理であると気づき、そこから世の中の秘密を解いて、わかりやすく説明してくださいました。

Raptさんの御言葉は神様の御言葉です。

これに気づかずに幸せになれるわけがありません。むしろ混沌とした世の中から抜け出すことは、一生かけても無理でしょう。

真の神様の愛、神様と愛をなすことを知らずに、幸せにはなれないのです。

Raptさんの御言葉は私がずっと疑問だったことに答えをくれます。そんな話は聞いたこともなかった!という話が次々に聞けます。

その話から様々な悟り・気づきを得られるようになると、こうやって一つ一つ理解できることが増えていくのです。

私にとっては真の愛についての疑問もRaptさんの御言葉のおかげわかるようになりました。

今まで愛についてよくわからなかったのは、俗的な愛と言われていることと、自分の心の底にある気持ちが一致しなかったからだと今は分かります。

それがわかった今は、愛に悩める多くの人にRaptさんの御言葉を聞いてもらいたい。

人を助けるためだけに活動されているRaptさんの神の御言葉を広めたい、そういう愛の気持ちでいっぱいです。

悪魔崇拝者からでたヒッピーやLGBTの活動に加担している場合ではありません。我に返ってみてください。

真の愛を求めるなら、Raptブログしかありません。

それに気づいて、真の愛を得て、多くの人が救われますように。

○ Rapt有料記事