私は今年の春にRaptブログに出会いました。
これまでに世の中の仕組みが知りたくて、色々な陰謀論を読み漁ってきました。
有名陰謀論者の記事は読めば読むほど恐怖が煽られ、知れば知るほど世の中には救いはないのだと結論づけることしかできませんでした。
そんな悶々とした中で、Raptブログに出会いました。
他の陰謀論とは全く違って、ウェブサイトには綺麗な写真が使われていたり、世の中の恐ろしい仕組みについて次々に明かしているにも関わらず、その文章からはどこか爽快感が感じられました。
このウェブサイトを書いている人はどんな人なんだろう?
そう思っていくつも記事を読んでいると、神様という言葉が何度と出てくることに気づきます。
短大がプロテスタント系の学校だった私は、キリスト教学という授業で聖書に少し触れたことはあったものの、何も覚えていないは、世の中に蔓延っている様々な宗教と共に一つに括っては、私には関係ないものだと思ってきました。
なのにも関わらず、Raptブログに出てくる神様の話、聖書の話は、なぜか気になる。
そうして読んでいくうちに、私たちの人生に大いに関係する、想像を絶する壮大な歴史が書かれていることに気づきました。
今まで考えたことも、教わったこともなかった、神様のこと。衝撃を受けました。
聖書に書かれている人々の争いごとや、人々を支配してきた悪人達の話は、決して過去に起きた一つの歴史ではなく、時代が移り変わっていった今も、やり方は違えど根本は何も変わっていなかったことに気づかされました。
さらに、サタン(悪魔)は存在していて、人々を支配してきた悪人達は、このサタンを本当に崇拝しているといいます。
悪魔崇拝って?って最初は信じ難い言葉でしたが、世の中には悪魔崇拝でもしていなければ起きないような恐ろしい事件事故が次々と起きてきたことを考えると、納得がいきました。
そしてこの悪人達がしてきた最大の罪は、人々が聖書を読まないようにあらゆる工作をしてきては、神様の存在を隠してきたことです。
人々が聖書を正しく読んで理解してしまうと、悪魔にとっては悪事が働きにくくなってしまいます。
そのため悪人たちは聖書を捻じ曲げた解釈で広めては、あらゆる悪事や罠を作り上げて、人々を陥れてきました。
こうして人々は唯一の救いである神の愛について知る由もなく、悩んでは辛いことは考えないようになって、悪魔が作った娯楽に溺れていくように仕組まれているのです。
そうとは知らず、人生を楽しむ方法だと勘違いしては、人々は娯楽に溺れ、当たり前のように性に乱れたり、お酒に飲まれたり、ドラッグなどの中毒になっては、堕落した人生を歩んでいきます。
中でも性の乱れはもっとも恐ろしいものであるということ、これがものすごい勢いで社会に充満していることを目の当たりにしては、まんまと罠にハマった人々のことを思うと悲しい気持ちになります。
キリスト教が性の罪を重視しているのは、ただ禁欲生活を人々に送らせるためのものではなく、人々に堕落するような人生を送って欲しくないからだという、神様の愛を知りました。
反対に悪人たちは、愛と恋という言葉を混ぜこぜに使っては、人々のあらゆる感情を使って間違った道に誘導してきました。
何人もの恋人を作ったり、恋したら結婚し、結婚したら安定が得られると思い込まされ、それが愛であるかのような幻想を抱かされては、形式的に作られた罠に特に女性はこだわるようになってしまいました。
最近では、オンラインで手軽に出会っては、お金目当てにすぐに関係を持ったりなんてことすら、当たり前の世界になってしまいました。
結婚するために相手を探して、安定を求めて相手を好きになって、結婚してはこんなはずではなかったと、さらなる異性(同性)の罪を起こしたり、終いには離婚して…
Raptさんの御言葉を聞きながら、真の愛の元にない結婚は、本末転倒としか言いようがないもので、真の愛が欠けていることは、この世の中にあるものすべてにあてはまることなのだ、ということも分かるようになりました。
真の愛とは神様を信じ、神様と愛をなすこと。神様の存在が目に見えないので難しく聞こえますが、ずっと俗的にいう愛することの意味が理解できなかった私には、大きな謎が解けたと感じ、愛という言葉がしっくりきました。
こうやって本当の愛の意味は、悪人たちによって捻じ曲げて間違った使い方がされてきたわけですが、この根底には神様の御言葉の解釈を捻じ曲げた、聖書の悪用がありました。
Raptブログでは、これらの神様の歴史や、神様の愛、また悪人達がどのように人々を滅ぼそうとしてきたのかを知ることができます。
そしてこれら悪人が崇拝する悪魔は、どこまでも人間を嫌い、その人間達を堕落させるために恋の罠を使ったり、娯楽に溺れさせるようにしてきたのです。
そんな想像を絶する歴史を理解するのには、霊界の話を抜きには成り立ちませんが、この霊界の話こそ悪人たちによって隠されてきた世界であり、人々は「神様は存在しない」と洗脳されてきたので、なかなか救われないのです。
現に陰謀論を知って政治に興味を持ち始めた知り合いも、物質的にしか物事を考えられないので、目に見えない神様の話になると(俗にいう)宗教では、悪の政治をどうすることもできないと思っていますし、
また別の知り合い(元クリスチャンで聖書を昔は読んでいた)の昔の恋人に騙されて子供を作ってからというもの、酒に溺れては暴言を吐くようになってしまいました。
こうやって周りを見渡すだけでいかに悪魔思想が蔓延ってしまったのか…
Raptさんの御言葉には、これら悪魔が作った思想に巻き込まれずに生きる方法、善と悪を見極める方法、そして全ての根本にある霊界のことを事細かに、私たちが理解できるように御言葉を通して説明してくれます。
こんな最強な御言葉があるとは、Raptブログに出会う前はそれこそ想像もしていませんでした。
その御言葉は聞けば聞くほど、霊界を含む、この世の中あらゆる仕組みについて、すべてのことに説明がつくだけでなく、真理をベースにどう人生を生き抜くべきかが見えて行きます。
私は、世の中の隠されてきた秘密をもっと知りたくて、さらにRaptさんの御言葉聞くようになっては、神様の存在を確信していきました。
目に見えない分おとぎ話のように聞こえるかと思いきや、どこまでも理に適った話ばかりなので、神様が存在していることが確信できるのです。
私が求めていた真理は、ここにありました。
真理を知った今は、多くの人にこのことを伝えたいと、このように証記事を書かせていただくようになりました。
あの時Raptさんの御言葉に出会っていれば…今だから分かる過去に選んできた間違った道の数々。Raptさんの御言葉を知っていれば、この間違った道の数々を踏む必要がありませんでした。
これが人間の愚かさです。
私は、その昔結婚という形式にこだわったことがありました。そして、結婚してカナダの永住権を楽に取りたいと考えたこともありました。
生き辛いと感じていた時にスピリチュアルの本に手を出したこともありましたし、その思考と弱さ上に異性の罪をおかしそうにもなりました。
さらには、有名ブロガーの楽してお金を稼げるなどの謳い文句にも騙されては夢見たり、健康ブームに関連する商品に手を出したり、さらにはサプリなどを口コミして販売するネットワークビジネスなどもかじったりしました。
これらのいづれもみんなやってるからと、そこまで悪なことのように聞こえないかもしれませんが、これらのことから得たものは、無駄遣いと虚しさのみ。
救いがないのはもちろん、時に後ろめたさを感じるだけの、幸せとは程遠い世界でした。
そんなダメダメの私でも、諦めずに真理を求め続けた結果、神様は、Raptさんの御言葉へと導いてくださいました。
真理というのはどこまでも次元が高く、その次元を目指して日々努力し、もがくからこそ、人々の徳が高まり、成長できるということがわかるようになりました。
そしてそれこそが宗教を信じる意味なのだということも知って、感動を覚えました。
低次元なことに無駄にお金や時間を使っていたあの頃の自分は、夢も希望もなくただ生活していました。色々な情報に惑わせれては、救いのなさに途方に暮れていました。
もうそんな生活とはお別れです。
真理というのはどこまでも力を与えてくれます。もう気持ちが揺らぐことはありません。
夢と希望を持って日々真の愛のためにもがき、少しづつ成長していく自分を感じては、神様に感謝する日々です。
一人でも多くの人が、Raptブログに出会って、神様の愛を知り、神様との愛をなすことこそが真理であり、真の救いであることに気づかれますように。