信じるものは救われる。

人々は様々な場面でこの言葉を使ってきました。

受験の時、面接の時、病気になった時…

私は、この意味がイマイチよく分かりませんでした。

人々は、一体何を信じて救われると言っているのか?が疑問でした。

受験や面接であれば、自分を信じるという意味合いが強いでしょうか。

また、病気になった時は、医者を信じて気持ち的に救われる人もいるかもしれません。

いづれにしても、信じる対象が「人」であるには変わりがありません。

特に無宗教の家庭で育った私は、時に神社仏閣に行くことはあっても、何かを信じないとやりきれない時は、頼れそうな誰かを探したものです。

そうして、悩みの分野の専門家や成功した人の本を読んでみたり、スピリチュアル系の本を読んでみたり。

今思えば、これら人が書いた本を読んだところで、救われた試しはありませんでしたが、他に方法が思いつきませんでした。

正月になれば習慣のように神社仏閣に行っては、お賽銭の金額が関係するだろうかとか、わけの分からないことを考えたりしながら、手を合わせてその時の悩みややりたい事がうまく行くように願ったりしました。

そうして神社仏閣に毎年のように行ったとしても、普段の生活が始まれば、そこで願ったことも忘れて行きました。

上手く行く事があっても、失敗が続いても、神社仏閣で願ったのにと思い出す事も、そのせいにする事もないくらい、全くといって思い出す事はない…

そうやって、基本はなんでも自分の考えでやろうとしてきました。自分の考えだと思ってきた事のほとんどは、学校教育やテレビなどのメディアによって洗脳されていたものだということは気づかずに…

それでもここ10年の間で、テレビを見なくなって、少しづつ洗脳から解かれていくと、メディアの洗脳工作が分かるようになっていきました。

とはいえ、この10年間に起きたことを振り返って見ると、自分の生活環境や、身の回りに起きた事件・事故は、どこかスッキリしない、疑問だらけでした。

・30半ばにしてカナダに行くことを決断するほどに、私の心境は東京での会社員生活ですっかり病んでいたこと。

・カナダで留学中に起きた3.11事故(父親はちょうどその時、福島に出かけていた)。

・母が白血病になったこと、正しい情報が分からないほどになっている健康に纏わる情報。

・カナダと日本の往復生活から、移民するに至るまでに経験したことの数々(仕事を失って、新しい働き方を探し、カナダの首相が交代になって、シリア難民が優先された時代背景など)

今まで常識とされてきたことや考え方すら、なんだったのか、どうもしっくりこないのです。それでも日々の生活は続くので、悶々とした中、自分の考えで正しいと思う進む道を選んできました。

そうして、ここ数年では、会社に勤めるという働き方ではなく、個人で生計を立てて行ける方法を色々と試しては、どれもこれも上手く行きませんでした。

資格を取るために学校に戻るしかないか?…そんな風に思い始めていた頃にRaptブログに出会いました。

そこには、私の抱えていた疑問に対する辻褄の合う答えがたくさんありました。

誰にも明かされなかった世の中のカラクリ… そのカラクリは、聖書を使って、真理を元に解かれました。

私たち特に日本人は、聖書に触れる機会などほとんどなく人生を歩んできたのです。これはつまり、正しい人生の歩み方を知る事なく、自分の力だけでどうにか幸せになろうとしてきたという事です。

そして、人生の中で何か選択する場面に出くわしたら、真理に欠けた自分の考えに任せるがままに生きては、様々な壁にぶち当たってきました。

私もそうして何度と壁にぶち当たっては、スピリチュアルな本や陰謀論などに手を出しては、さらに混乱してきました。

何をやっても上手くいかなくなって、色々と調べては混乱するだけ。この世の中には、正しい答えはないのかと諦め始めた矢先にRapt理論に出会って、「真理が存在する」事を知りました。

全てがすとんと音を立てて落ちたかのように、腑に落ちた瞬間でした。

そして、真理を知らなかったから、迷いに迷った人生を送ってきた事がはっきりとわかりました。

それからというもの、もっともっと世の中のカラクリが知りたくて、一般記事のRapt理論を読み漁りました。

さらに、どうすれば人生の選択に迷わず、正しい道を選択する事ができるのかが知りたくて、有料記事を読むようになりました。

そこには、40年強生きてきた中で、誰からも聞いたことのない真理の事が書かれていました。それこそが「神様の存在」であり、「霊界の存在」でした。

霊感の強い人たちは、世にさまよっている霊を感じたりすることはあるかもしれませんが、多くの人は、霊界の存在など考えずにきたでしょう。

だから、魂を成長させる事が、人々の願う成功に必要だった事など知る由もありませんでした。

この目に見えない霊界の話こそが、本来なら先祖代々受け継がれるべきものだったのです。

Raptブログの有料記事では、この忘れ去られた霊界の話、神様の存在、神様と人々の関係が、具体的に説明されています。

誰からも聞いた事がなかった壮大な真理の話は、実は、短にありました。それが聖書でした。

Raptさんは、たくさんの文学を若い頃から読まれていて、聖書に出会った時に、これこそが真理だという事に気づかれ、それからというもの何度も聖書を読まれてきました。

そこから得た知恵や悟り、そして神様を信じて、分からない事が出てきたら祈り続けて来られました。そうして、神様からたくさんの閃きや答えを得て、Rapt理論を解かれてきました。

これこそが真理に基づいた読み物なのです。

世の中には、人々が考えて書いた読み物や、もしくは世の中を支配する悪人たちに依頼されて真実を隠して書かれた記事などで溢れかえっています。

その中から人々は、正しい情報を探そうとしてきました。そこには真理が存在しないだけでなく、神様の御言葉が詰まった聖書にある教理が、故意に隠されてきたというにもかかわらず…

この隠されてきた真理がRaptブログにはあります。これを知らずして、世の中で幸せに生きようと願ったり、成功しようと考えても上手くいかなくて当然です。なぜなら、真理なしに正しい道を選ぶ事は出来ないからです。

私たちは、真理を知らずして、自分の力でなんとかして成功し、幸福な人生を生きようともがいてきました。

人間レベルでもがいて、少し上手くいったとしてもたかが知れています。神様レベルでもがき、神様を信じる事こそが人々が成功した幸福な人生を生きるための方法でした。

今では、しっかりとこの意味が理解できるようになりましたが、Raptブログに出会った当初は、宗教に良いイメージを持っていなかったので、Raptブログの有料記事を読むか、一瞬迷いました。

でも、読み始めてからは、なんでもっと早く読まなかったのだろうと、後悔しました。

今まで持っていた宗教に対するイメージは、嘘ものの宗教に対するものだった事もはっきり分かりました。

真理がある宗教は、人間の徳をどこまでも高めてくれるものだったのです。

人間の徳を高めるという言葉を読んだ時は、その美しさと強さに感動を覚えました。

私たち人間誰しも幸福な人生を送りたいと願っています。そして、生き辛さを感じずにはいられなくなってきた今こそ、それを願って止まないのではないでしょうか。

「信じる者は、救われる」

唯一の神様を、正しい方法で信じれば、本当に救われるのです。その具体的な方法をRaptブログは教えてくれます。

この真理を多くの迷える人に知って欲しいと願い続けます。

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