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真実は、Raptブログに。

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11月11日の祝祭の日、主から受けた恵みの証

 

今年2020年11月11日の祝祭日は、私にとって2回目。信仰歴が数ヶ月と浅かった昨年よりも、主からの恵みをはっきりと感じられた日となりました。

今年は、コロナパンデミックに始まり、これを書いている今現在も私が住んでいる辺りでは、第二波からロックダウンが始まりました。

そのため、レストランに行っても食事ができない状態ではありますが、私にとって奇跡の出会いをお祝いする日、普段は行かないところへとナイアガラの滝へ行ってきました。

当日の明け方には、ざっとひと降りしたので現地での天気が少し心配でしたが、結果、雨に降られることはなく、所々晴れ間にも恵まれ、帰路の道中では美しい夕日に、その日の光が反射するオンタリオ湖の美しさにうっとりするほど、終日素敵な風景を楽しませていただきました。

まさか、このような恵み深い日を過ごすことができるようになるとは、RAPTブログに出会う前まで想像することすらできませんでした。

目に見えない存在とその法則が、まさか私たちの身の回りに起こること全てに確実に作用していたとは、ただただ驚きでした。

ですが、その真理の法則が少しづつ理解できるようになると、今まで体験してきた良いことも悪いことも、あらゆる出来事が起こる理由も、さらには、なぜこのようなことが起こったのだろうといった疑問にも、次々に辻褄が合うようになりました。

そうして、分からなかったことが少しづつ分かるようになると、漠然と抱えていた不安や心配も徐々に無くなって行く感覚が味わえるようになりました。

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そんな奇跡の出会いをお祝いするこの日、ナイアガラの滝へ向かう行きの車中では大きい声で賛美をしました。

すると、いつもより早く、どこからともなく湧いてくる感動。その大きな感動と共に溢れる涙。心の中がスッキリすると同時に、安心感が湧いてくる感じがありました。

今回と同じくらい強く感動を感じたのは、今年の3月にある大きな罪に気づいた時でした。

その時について書いた証記事はこちらになります↓

人のため・自分のために生きてきた人生から、真理を求める人生へ

ナイアガラの滝への道中は、この3月の日から今日のこの日まで、御言葉を学びながら悟ったことがいくつも思い起こされては感謝の気持ちで一杯になりました。

今までの人生、嘘も常識な社会で生きてきて、疑問に思うことがあっても、なかなかしっくりくる答えが得られず、結局、よく分からないまま目先のことに追われて日々を過ごし、そうやって不安や心配を抱えながら生きてきたこと。

時に、どこにもやれない思いを押しつぶしては、それなりに幸せに生きてきるんだと言い聞かせながら生活してきたこと。

全然幸せじゃなかなった…。むしろ、その反対だった…。

御言葉を聞くようになってから、不安や心配の理由や、不公平感や理不尽な思いをした理由とその原理が少しづつ分かるようになってきました。

それらは、今まで生きてきた社会の中では、誰一人として教えてくれることのなかったことばかり。

それどころか、その真理の存在は長いこと意図的に隠されてきたことを知って、今まで正しいことかのように植え付けられてきたことのほとんどが間違った認識だったことに気づき、それを正せるようにと導いてもらえたことに心から感謝をしました。

そんな想いに浸りながら、1時間ほど車を走らせたところにあったサービスエリアに立ち寄りました。

そこでコーヒーを買おうと注文したら、いつもほとんど聞かれたことがない「ポイントカード持ってますか?」の質問。

そういえば、知り合いが何枚か同じポイントカードを持っていて、ある時その一枚を私にくれたことを思い出したので、提示してみました。

すると、「今日のコーヒー代はタダですよ。」とお店の人。

まるでこの日に合わせてプレゼントしてもらったかのようで、嬉しい気持ちになりました。

御言葉を聞くようになって、そこで学んで理解したことを少しづつ生活の中で実践すると、不思議と物事がタイミングよくスムースに運ぶことが出てくるようになったことに気づきました。

例えば、運転中、信号が変わるタイミングが良かったり、車線変更がスムースに出来たり、ちょどいい場所の駐車場に車を止めることが出来たり。

渋滞でイライラする人が多くいることなどを考えてみても、このようなちょっとしたことがスムーズに進むだけでも無駄にストレスを抱える必要が無く済みます。

私の事実婚パートナーとの生活は、これと正反対に、物事がスムースに運ばないことのオンパレードでした。

例をあげればキリがないのですが、例えば、付き合い始めたばかりの頃、彼の運転で出かけていると、何度も警察に止められるということがありました。

スピードを出していた訳でもなかったり、止められた理由が不明だったり、何か注意されるだけで罰金は免れることはあったにしても、「こんなに頻繁に止められるものなの?」と不思議で仕方ありませんでした。

その当時は、彼との恋愛関係がまさか様々ないざこざに起因しているとは知る由もありませんでしたが、この3月にこの異性の罪に気づいてから彼と過ごしてきた10年強の私の人生を振り返ると、この罪のために茨の道を歩んでいたということが今はよく分かるようになりました。

以前の私は、異性との関係について、世間で一般的とされてきたように考えていました。

彼氏を作ることが女性の幸せであるかのような風潮がある中、私も多かれ少なかれその考え方に感化されては、彼氏を得るまでいつもどこかで求めていた気がします。

そうして彼氏を作ったとしても幸せに感じることより、煩わしさを感じることの方が多かったことには目を瞑り…。

独身女性で仕事ばかりしていた当時の私は、それこそ彼氏がいないといわゆる「負け犬」状態。

東京での仕事ばかりの生活と、引かれたレールに乗っかっていないといけない雰囲気が漂う日本社会に嫌気がさして…、そうこうして、カナダ移住をしたものの…。

家族のいない海外で生活していく上で、一生一人で暮らすことを想像して心細く思っては、時に意見が合わないことがあっても、誰かいた方がまだマシ、そんな風にも思っていました。

そうして、彼との付き合いも10年が経ち、今年に入って引き起こされたコロナ騒動の中、この幸せに対する考え方自体が間違っていたことに気づきました。

それを悟った時には、それこそ滝のように感動と涙が押し寄せてきたのを体感して、これが真理だと確信したあの3月の日。

あの日から今日のこの日までに気づいた大きな罪に付随するいくつもの罪。まるで、罪は罪を呼ぶかのように…。

それらを思い出せる限り一つづつ思い出しては、気づかせてもらえたことに本当に感謝しました。

そうこうしている内に、感極まってか、ナイアガラの滝に向かうのに降りるべきだった高速の出口を見過ごしてしまい、それに気づかぬまましばらく走っていると、雲行きまで怪しくなってきました。

ふと周りを見渡してみると普通の車の数が急激に減っていて、トラックばかりが走っています。

それに気づいてから次の出口で折り返すことにして、また高速に乗って来た道を戻り始めて一安心したところでまた賛美を続けました。

すると雲の合間から日差しが差し込み、まるでこの道であってるよと言われているような感じでした。

それから少しして無事ナイアガラの滝付近に到着し、レストランに併設された駐車場が安くて良いかもと、そのサインを読んでいた矢先、後ろから来た人に半ば煽られるようにしてそこに駐車することになりました。

そこからは歩いてナイアガラの滝へと向かいました。

駐車場付近から撮った写真

ナイアガラの滝アメリカ側

ナイアガラの滝・アメリカ側を左手に、カナダ側の滝に向かう道を歩きながら、感動を分かち合いたくてここでも賛美しました。

滝からの距離はかなり離れている歩道ではありますが、カナダ側の滝が近付くにつれて水しぶきが飛んできます。風向きにもよりますが、結構濡れることもあります。

この日私はフード付きのジャケットをたまたま羽織ってきていたので、そのフードをかぶりながら歩きました。水しぶきで歩道が濡れている様子が写真からも見てもらえるかと思います。

大きく綺麗な虹も見ることができました。

ナイアガラの滝と虹

この日の観光客はそれほど多くなかったので、ゆっくり歩きながらところどころで写真や動画の撮影をしました。

コロナのせいか、いつもならちょくちょく写真を撮って欲しいと頼まれるのですが、今回は1組だけ。

そのお陰で途中途中遮られることもなく、スムースにカナダ側の滝まで歩くことが出来ました。

長いこと抱えていたしがらみがほどけて行くような感覚。

一つのしがらみは、何年と続いてきた居候との同居生活。

事実婚の彼との生活には、いつもこの居候の存在が大きくありました。東欧から移民してきた40半の彼は、一年の内合計半年の間、私たちと同居する生活をここ何年と送って来ました。

というのも彼は、高校時代の同級生が36歳になった時に「今子供を産まなければ産めなくなる」、「子育てには関わらなくていいから」と懇願されて、子供を作ることに同意しました。

が、子供が産まれると、当然、母親になった彼女から子育てを理由に色々と頼まれるようになっていきました。

そんな彼女との生活から逃れるようにしてカナダに帰って来ては、「人生は短いから楽しまなければ。」「ここでの生活が俺の自由なんだ。」などと言っては、お酒を大量に飲んで、その勢いで、同じ女性である私に八つ当たりをしたり、家政婦のようにあれこれ用事を言付けて来ました。

事実婚の彼は、見て見ぬ振りかと思いきや、彼にも離婚歴があるので、時に、女性に対する嫌悪感が思い出されては、居候に味方をする状態。

彼をも私の味方をしてくれない…。そうして不公平だと感じる場面を何度と味わいました。

例えば:ある日のインスタ投稿

日に日に居候との生活に嫌気がさし、彼が酔っ払っている時には口論になることも出て来て、家を出たいと思ったことも何度もありましたが、なんで私が出なきゃいけないんだとも思ったりもしました。

この居候との同居生活で感じた様々な不条理、不公平感に対する疑問の答えも、また私の中に存在した被害者意識の罪にも気づかせてもらうことが出来ました。

そしてつくづく思うのは、「恋は盲目」という悪魔の囁きとも言える言葉は、悪の思想を正当化させるものだなと。

御言葉に出会う前は、好き合って一緒に居るわけだし、たとえ様々な困難に見舞われて苦しくても、「人生はそもそも不公平なものなんだ。」、そう自分に言い聞かせていました。

多くの結婚している夫婦のように、毎日お互い一緒に暮らすことで幸せを感じていなかったにしても、日々の生活が普通に送れればそれで十分幸せなんだ、そう思うようにしては、事実婚の彼とこれからもずっと一緒にいるものなんだと思っていました。

彼との関係自体が罪であったことに気づいてからは、彼と生活する上でつきまとって来た様々なしがらみからも解放されるんだと、自由を得た気持ちになりました。

こうして、罪に気づいてそれを悔い改めれば、幸せに一歩づつ近づける、自分の間違った考えや認識が幸せを遠ざけて来たのだと、その意味が身を持って分かるようになりました。

罪というと大げさなように聞こえるかもしれませんが、その根底には、私たち人間に罪がある状態だと、本当の幸せや自由から遠ざかってしまうという真理の法則があって、それこそが神様の心情から来ているものだったのです。

そしてその法則はどこまでも公平なもの。

私が間違った認識で物事を行えばそれ相応の裁きを受け、それが悔い改めの機会になって、軌道修正することができる。

私にとって、彼との異性の罪に気づいて悔い改めた時に体験したあの感動が、何よりもその証です。

そんな私の今の願いは、1日も早く自活できるようになること。

先に紹介した前回の証にも書かせていただきましたが、事実婚の彼には、今後は別々の道を歩むとお互いに理解しているので、今は同居人のような生活をしています。

御言葉に出会わなければ、嘘の常識で作られた社会の中で、彼氏がいることが幸せだという間違ったこの世の一般的な認識のもと、茨の道をあのまま歩んでいたでしょう。

そうして、ところどころ不条理な思いや不公平を感じたとしても、無理やり自分を説得しては、そのどこにもやれない気持ちに蓋をしたまま、不幸な人生を送っていたでしょう。

そうして、将来に漠然と不安や心配を抱えながら生きていたかもしれないと思うと、ゾッとします。

真実が常識となる世界になりますように、今まで植えつけられた間違った認識が正されますようにと願いながら、ナイアガラの滝を眺め、お腹がすいてきたので早めの夕食を取ろうとレストランを探し始めました。

冒頭でチラッと触れたように、私が住んでいる地域では、レストラン店内で食事をすることができませんでしたが、幸いにもナイアガラの滝付近では空いているレストランがいくつかありました。

車を止めたところのイタリアンレストランも空いていたので、そこで好物のトマトソーススパゲティを食べることにしました。

程よい酸味のトマトソースにパルミジャンチーズをかけて、とても美味しくいただきました。

特別な感じがするメニューではなかったかもしれませんが、食べている間ずっと心温まる思いで満たされました。

最後にコーヒーを注文し飲みながらお会計を済ませ、駐車場も無料にしてもらえて、ナイアガラの滝に行こうと行き先を決めた以外は全て行き当たりばったりの旅でしたが、全てがスムースに進んだ1日でした。

帰りの道中は、眩しい夕日に照らされて思わず「わー綺麗」と独り言を漏らしてしまうほど美しかった。

さらに、右手に出てきたオンタリオ湖が、夕日に照らされてキラキラしている様子が気になって気になって、これまた行き当たりばったり、高速を途中で降りてみたところ、ちょうどあった湖が見渡せるスポット。

そこから街を対岸に見渡しながら撮った写真が↓。

心に引っかかっていたしがらみを全て取り除いていただいたような、恵み深い1日でした。

普段行かないところへ行って、普段食べないものを食べてお祝いするようにしてくださった、神様の心情にも感動し、この日をより鮮明に覚えておきたいと、記念に短いですがインスタストーリーを作りました。

11月11日の祝祭の日-2020

これからは、恩返しをしていきたい。

**********

私は、RAPTブログに出会ってからまず、この世のカラクリを知りることができました。

それによって、誰がなんのためにこの世界を支配しようとしているのか、今まで隠されてきた本当の歴史を含め、歴史に興味があったわけでもない私でも、この世のカラクリが明確に見えるようになりました。

2016年のアメリカ大統領選キャンペーンが始まった頃から、私の周りにはトランプ支持側のいわゆる陰謀論を聞いては賛同する人が多く、そんな彼らの言動が日に日に荒れていくのを目の当たりにしてきました。

彼らが言うことが正しいとしたら、真実は人を凶暴にするものなのか?

そんな疑問を持っていたので、RAPT理論に出会って、地上界で起きている真実=陰謀論だけでは全体像が見えないことがわかりました。

この世の中で起きていることは、霊界で起きていることの反映だったのです。

この世の中を支配しているイルミナティという悪魔崇拝者達の存在に、彼らが本気で悪魔を拝んで様々な悪事をしてきたということ。

私の周りにいた人たちの言う真実と言う陰謀論だけを聞いていた時は、イルミナティという巨大な組織に支配されているなら、庶民である私達は彼らの奴隷のように扱われて終わりなのかと、なかば投げやりに、絶望的な思いを抱いていました。

が、RAPTブログで霊界の存在を知って、悪人が悪魔を拝んで様々な悪事を行っているとしたら、庶民の私たちには神様がいるのではないか?

そうやって、霊界の存在をはっきりと理解できるようになって、全体像が見えると共に、みるみる希望が湧いてきました。

私たちには、神様という救いの存在があった!

このように、目に見える地上界のことと見えない霊界のこと、その繋がりなしには、真実が見えてこないんだと言うことに気づけた時は、本当に頭の中がスッキリしたのを覚えています。

トランプ支持者が言う真実は、イルミナティの勢力争いに加担するためにあるから、片側のせいにしては、その言動に凶暴性をおびていたのか、だから、辻褄も合わなかった。

あの時の分からなかったことが分かった瞬間の衝撃は次に、こんな風に理路整然とこの世界のカラクリを分かりやすく記事にしているRAPTブログを書いた人は、どうやってこの世の謎をつなぎ合わせることができるのだろう?

そうして、RAPTブログの有料記事を読み始めたのですが、そこには「霊界の奥義」がありました。

これこそが、右も左も共に悪人達が隠してきた最大の秘密が「真理」の存在だったことを知って驚嘆し、そのこの世の全ての原理が欠けていたが故に私たち庶民は、イルミナティが作り出したあらゆる思想の元にある政治、経済、歴史、文化芸術など、ありとあらゆる角度から騙され続けてきたという…。

私たちを騙し続けるために、彼らはあらゆる偽善的行為を行って、人々を惑わしながら金儲けをし、人々に神様の存在を悟られないようにしてきたのです。

だから、彼らが作った法律を守ったり、彼らが作った幸せの定義に沿ったところで、幸せになれる訳もなく、むしろ不幸の道を歩むように仕掛けられていたのです。

RAPTさんが伝えてくれている神様の御言葉を聞けば、彼らが隠してきた真理の存在を感じるしかありません。

それが、私たち人間が、この世の中を幸せに生きるための法則でした。

私は、その真理の言葉を聞いて行ったことで、目に見えない存在を感じることを経験しました。

まだまだ分からないことはたくさん残っていますが、御言葉に従って行けば少しづつ不安や心配から解放されて、本当の意味での自由が得られるのだということが分かるようになったので、希望を持って毎日を生きられるようになりました。

今回ここに記した私の体感した感動こそが、真理の証です。

隠されてきた真の愛の存在が世界中に広がり、一人でも多くの人が混沌とした世の中から救われて、希望を持って人生を歩むことができますように。

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実力はお金で買えない。真理の愛の言葉に従って、努力し成長することで備わるのが真の実力であることをRaptブログは教えてくれました。

 

世間ではコロナウィルス騒動で、次々に学校や娯楽施設が閉鎖になっています。また、物が中国から入らなくなったり、それによって仕事ができず減ったり、事業が破綻したり…

ただでさえ、税金はあがっても賃金が上がらないどころか、日本は先進国の中でも賃金が低い国へとなりつつあります。

バブル経済で浮かれていた時代はまるで大昔のよう、その時代に働いた経験を持った人たちも今や退職して、その年金暮らしは決して楽なものではないようです。

今まではたいした実力などなくても、普通に学校を出て働きに行けば、適度に稼ぐことができ、食べることに困ることもなく、若い人たちも家族を持って養っていくことができました。

そんな一見「普通」の生活が送れていた時がいつの間にか過ぎ去って、今では、日々の暮らしの中で常にお金の心配が付きまといます。

まして老後のことなんて考えたくもありません。

働いて給料が入れば普通に生活できていたのに、そのお金はもはや今までのようには入らなくなってきました。

そうすると、副業に手を出す人も増え、企業は副業解禁せざるを得なくなっています。副業を探していると、「簡単に稼ぐ方法」とか、「不労所得を作る」などの金儲け話に行き着くことも多く、知らずのうちに罠に引っかかってしまったりもします。

「不労所得」話に騙される前に!Raptブログで世の中のカラクリを知って将来への不安を希望に変える

これらの話に乗ってしまったことがある人はお分かりでしょうが、その道で成功したと言う人がそのノウハウを教えてくれたりするのですが、結局のところ、成功者たち自身、そのノウハウをセミナーや教材などにして売って、稼いでいるというのが実状です。

私も「3ヶ月で10万円が稼げるようになる」のようにうたっていたブログで稼ぐ方法が書かれた有料教材を購入したり、健康ブームに溺れていた時はその延長でネットワークビジネスも試してみました。

世間一般的には、それぞれの分野で成功するにはその分野で稼いだ人に習えと言われていますが、真似ても上手くいかないし、それでも上手くいかないのは自分のやり方のせいだと思っていました。

が、上手くいかない本当の理由を分かりやすく教えてくれたのは、Raptブログでした。

RAPT有料記事442(2020年2月8日)他人と同じこと、似たようなことをする者ではなく、自分独自の味を引き出し、自分の個性を開花させて行う者となりなさい。

人それぞれ違った個性や才能が与えられているので、人の真似しても上手くいかないのは当然のこと。

自分が稼ぐことしか考えていない世の中に溢れている「成功者」は、この真実を教えてくれることはありませんし、この真実を知らないかもしれません。

その代わり、ブログで稼ぐ系の成功者なら、トピックやニッチマーケットの選び方、キーワードの探し方や、芸能ネタの書き方など、今思えば跳んだお門違いな物をノウハウとして伝授します。

中には、自分が選んだトピックでネット検索しては、上位にあがってきた3記事くらいを読んで、その中でなるほど〜って感じたものを使って文章を構成したり、言葉尻を変えたり、なんていうやり方を教えている人もいました。

自分の実力をつける方法を教えるのではなく、小手先のトリックを学ぶだけのようなそのやり方は、学んで実践しても全く上手くいきません。

それでも自分が書いたブログが読まれるようになる理由があるとすれば、自分で文章力を磨く努力をするからではないかと思います。

そんなある時導かれたRaptブログ。トピックは一つどころか多岐に渡って書かれていて、その内容の濃さも半端ない。こんな話聞いたことがなかった、衝撃でした。

今まで参考にしていたいわゆる自称成功者は、一つの分野に絞れと言っていたし、確かに、たくさんの分野の知識を学んで記事にするとしたら、それには相当の知識と努力が必要になるので、普通の人は続かないのがオチでしょう。

当時の私は健康やオーガニック分野でブログを書いて、それで稼ぎたいなどと淡い期待を抱いていました。そんな中、同じテーマで書かれた人の記事をいくつも読んでは、大まかに言って、みんな話す内容が一緒。

そこには、個性も才能も全く感じられず、ただ調べた情報のサマリーが書いてあるだけのものでした。が、それが返って、みんな同じことを言うから、この情報は正しいのか?と言う変な錯覚を産んだりもしました。

そんな中、ちょっと目立つ切り口で書かれた健康系ブログは、食の分野を陰謀論的に語っているものでしたが、それもいくつか読んでいれば、大体同じように全てロックフェラーが悪いとして書かれていました。

このように色々な情報に惑わせれながらも、それでも、真実の健康を求め続けた私は、Raptブログに出会うことができました。

RAPT×読者対談〈第87弾〉過剰な健康・環境ブームも悪魔崇拝から始まった詐欺目的のデタラメ話。

この記事に出会った時は、タイトル読んだだけで、今まで健康的な生活のためと思って使った時間とお金が、全て無駄だったことに瞬時にして気づきました。

まさに目覚めた感じです。

それからは、Raptブログの記事をたくさん読みました。あまりにも興味深い、誰も持ち合わせていなかった視点と、それを証明する文章構成力に、複雑なこともシンプルに解き明かしている内容に、美しい写真に、とにかく全てに魅了されました。

一体どんな人がこのブログを書いているのだろう?と次第にRaptブログの有料記事を読むようになっていきました。

そこには、全く想像もしていなかった世界の話がありました。

そこには、自分の個性や才能を伸ばす話がありました。

そこには、人間の成長および、徳を高める話がありました。

RAPT有料記事237(2017年12月30日)あなたが悟った分だけ、あなたの人生も変わり、霊界も変わり、この世の中も変わる。

RAPT有料記事139(2017年1月21日)自分の中に眠っている個性と才能を開花させてこそ、真の救いが完成する。

RAPT有料記事340(2018年12月31日)霊的に成長し、豊かに聖霊に満たされた人は、人生の道に迷うことがなく、常に自分の行くべき道を見分けることができる。

生まれて初めて、今まで味わったことのない感動を覚えました。

同時に、私たちを支配してきた悪人=上級国民が、私たち庶民から隠してきた世界が「霊界」であったことを知った時の怒りを通り越したなんとも言えない気持ち。

その隠された世界について書かれているのが「聖書」だったこと。

それこそ「真理」だったこと。

そこにしか、人々が真に成功する道がなかったこと。

初めて世の中のあり方が明確に見えてきました。

真の救いというのは、こういうことだったんだ…

目に見えないから、意識することもなかったし、その目に見えない世界を隠したい悪人たちによって、私たちが真理の御言葉に気づかないようにあらゆる仕掛けが行われてきた…

とんでもない壮大な歴史の中に存在していた、自分というちっぽけな存在。

それが分かった時、今まで囚われてきた目に見える物質的なものから解放された感じがしました。

その時の解放感は、上手く言葉で表せませんが、真理って強くて揺るがないものであり、全ては「愛」原動だった…

実力はお金では買えません。お金に仕えて、全てをお金のために行えば、何事も上手くいきません。

愛に仕えて、愛を原動に何事も行って初めて成長することができ、人生に迷うことなく、正しい道を歩んでいけるのです。

RAPT有料記事440(2020年2月1日)常に主に合わせて変化し、成長してこそ、この世がどんなに激しく変化したとしても、常に成功し、栄えて生きることができる。

私は昨年初夏にRaptブログに出会って、それからというもの毎日Raptさんの伝えてくださる神様の御言葉を聞き、従う努力をして、真実の情報拡散が上手くできるように祈ってきました。

今年に入ってから、ブログを書くにしても、少しづつですが、構想やアイデア、ひらめきが来るようになった感覚を味わい始めています。

なんでそう言えるのかというと、そのアイデアを受けた時に感じた喜び、そしてそれを書き始めてから目に入って来る情報が、今までの自分の力で見つけることができなかったものだと、感じられたからです。

Raptさんがどのようにこの世のカラクリを解いてきたか、御言葉で語っていらっしゃったことを自分の祈りに取り込んでいくことで、自分では想像もしなかったことが思いついたり、情報が目についたり。

書き始めてから書き終える時までの過程においても、書いている自身がカラクリを解くとは何かを感じられる感覚が得られた気がするのです。

そうして、このまま従っていけば、確実に実力が付いていくのを感じられるようになりました。

同時に、まだまだ実力不足で、Rapt理論を元にこの世のカラクリをもっともっと解こうとしても、せっかく構想が受けられたような気がしても、Raptさんのように毎日記事を更新するのには、到底及びません。

真の情報拡散をしたいと始めてから、毎日のようにRaptブログを読んでは、その深い内容と謎の解き明かし方の視点、どれを取ってみても、神様の存在を強く感じます。

お金で買えるものから得られるいっ時の満足感など、本当にどうでもいい。実力はお金では買えない。真理の愛、真理の言葉だけに本当の成功の秘密がありました。

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