私が一番好きな季節とその風景の中、未だ世間はコロナパンデミックの話題で持ちきりでしょうか。
こちらでもスーパーなど開いている限られたお店では、ソーシャルディスタンスが定着しつつあります。
このルールが始まったばかりの頃は、なんとも殺伐とした雰囲気が漂っていましたが、時間と共にそれも緩まってきているような、そんな感じがし始めた今日この頃。
それでも、マスコミが作るコロナの恐怖に怯えている人達の話を聞いたり、反応を見ては、なんとも切ない気持ちになったりします。
日本の友人の子供達は、ステイホームでテレビを見る機会が多いからでしょうか、コロナウィルスを恐れて、ゴールデンウィークは、外出自粛を積極的に頑張ると話していました。
また私の英語の先生は、週に一度、電話で話す時の冒頭で「ソーシャルディスタンスにステイホーム、ちゃんと守っている?」が挨拶がわりになって、1ヶ月以上が過ぎた先週のレッスンの時には、「僕も妻もここ最近なぜか寝起きが悪いから、コーヒーを二杯飲んでなんとか乗り切っている。」と言いました。
私が住むカナダは、ただでさえ冬が長く、日照時間は貴重で、人々は普段からビタミンDが必要だと、会話のところどころに出てくるのですが、今回のステイホームを律儀に守った人達にとっては、必然的に日に当たる時間が奪われ、そうして健康状態にもひっそりと悪影響を及ぼしていると考えられます。
マスコミの情報を鵜呑みにすることが、害になることを表した一つの例。
そんなマスコミの影響力が未だ強い中でも、政府の対応の仕方に矛盾を感じたり、周りにコロナウィルスにかかった人がいないこととマスコミの報道とのギャップに疑問を覚えた人も少なくないようで、中にはコロナの嘘を知って色々と調べるうちに、今までの価値観や常識としてきたことが180度変わってしまったという人もいたり。
かたや、コロナの報道の嘘を知ったからなんなの?と思う人もいて、自分の生活にそこそこ満足していたり、コロナ騒動のせいで仕事がなくなることもなかった人たちの中には、真実を知る必要性を感じない人もいます。
この発想こそが、「無宗教」がもたらした愛のない社会。その底知れぬ深さを垣間見ては、胸が締め付けられる思いがしました。
どんな状況におかれていても、単純に考えて、コロナの恐怖を煽る報道が嘘だと分かれば、無駄にステイホームすることなく、散歩に出かけて日光浴をするだけでも気分転換になることは想像できますし、気分転換できれば、ストレスからくる家族の喧嘩なども避けられるかもしれません。
親戚や友人にこの状況を伝えてあげることができれば、より多くの人が無駄な不安から解消されることにもなりますが、真実を聞かされてすんなり受け入れる人もいれば、政治家が言うことを疑わずにきた人達にとっては、全く逆のことを言われて理解が追い付かずに反発するだけであったり。
自分のことだけで精一杯な人も多く、そうするとどうしても自分さえ良ければいい的な考えが先に立ってしまうようになった愛のない現代社会。
そんな愛も、救いもない「無宗教」社会を作ろうとしたのが、今回のコロナパンデミックを引き起こした犯人でした。
コロナウィルスは、マスコミで言われているような得体の知れないものではなく、コロナパンデミックは、大本教・出口王仁三郎による計画的犯行であったことが、Rapt理論で明かされました。
○【完全解明!!】コロナパンデミックは、大本教・出口王任三郎の計画的犯行だった!!
そんな悪人達がコロナパンデミックを起こした目的は、世界各地の都市から土地を略奪して、そこにコンピューター管理の街、「スマートシティ」を作ること。
私が昔から大嫌いだった言葉に「長いものに巻かれろ」があります。この処世術とか言われている発想こそ、あちら側の仕掛けだったのだろうと考えるとしっくりきてしまいます。
長いものに巻かれていれば、人々はロボットのように自分の頭で物事を考えることをしなくなって、そんなロボット化する世界には愛など不要なので、コンピューター管理社会にはもってこいです。
マスコミの報道からは、そんな話はもちろん出てきませんし、むしろ、人々がマスコミの報道通りにコロナウィルスを恐怖に思って、自発的にその場所から離れてくれたら、スマートシティを作りやすくなるというカラクリ。
長いこと嘘の情報で人々を洗脳し、時に恐怖を煽っては、言われた通りに従う、自分でものを考えない人達を作ってきたというわけです。
こんな普通の人間では思いつかない悪事の裏には、大本教・出口王仁三郎のカルト思想がありました。
その大本教が目指した世界こそが、私たち庶民から救いを遠ざけるための「無宗教」という概念を植え付けることでした。
○意外な真実!「大本教」の最終目的は、完全に救いのない「無宗教」の世界をつくることです。
現に、私も無宗教家庭で生まれ育って、自然と自分は無宗教だと思ってずっと生きてきましたし、親戚に創価学会の人がいたこともあって、宗教に対して良いイメージが全くありませんでした。
創価学会の信者の親戚は、普段特別会話をするわけでもないのに、選挙の前にだけ、公明党に投票するように電話をしてくるとか、そのついでに聖教新聞を取るように勧められては、私の母はいつも嫌な気持ちになっていたのを見てきました。
そんなある意味短にあった創価学会も、大本教も同じ「国常立尊」という悪魔を拝んでいるというのですから、開いた口が塞がらないだけでなく、カルト思想というのは、その名の通り、まさに悪魔崇拝からくるのだということが分かりました。
○ 「国常立尊」を基軸とした「トヨタ」と「JAL」と「キャノン」と「パソナ」と「経団連」と「創価学会」と「大本教」と「北朝鮮」と「日本財団」と「イエズス会」と「CSIS」と「皇室」の奇妙なつながり。
私は、昔から創価学会と公明党の繋がりに疑問がありました。なんで政治に宗教が絡むのか。
また、宗教に良いイメージがないがために、どういう仕組みになっていて、社会においてどのような役割を果たしているのか、調べてみたいと思うこともなく、むしろ、変に知って騙されれたくないという気持ちの方が強くて、避けてきました。
今思えば、こうやって自ら「無宗教」という彼らが作ったカルト思想にどっぷり浸っていたとも言えます。
そうして、知らずにカルト・大本教の目指した救いのない世界の中で、奴隷のように扱われてきたことにも気づかずに、ずっと生きてきました。
これこそが、カルトが作り出した「無宗教」というカルト宗教。信者になろうとする必要はなく、ただ、テレビを見たり、新聞を読んだり、有名人のユーチューブ情報を聞いていれば、自然と洗脳されていきます。
そうして、嘘が充満した情報の中で、政治家は嘘をつかないと信じ切って、いつの間にか間違った情報の認識が常識化してしまうという…
私はこの社会構造が分かって、日本に無宗教人口が多い理由がよく理解できました。
そんな奴隷社会に生きているとはつゆ知らず、カルト宗教の思想にまみれた生活を送ってきたお人好しな日本人の私たち…
習慣のように初詣に出掛ける行為が物語っているように、神社には神がいるとかいないとか、そういうことを考えて追求するのではなく、ただ文化・風習的に出掛けて、願掛けをする(それも彼ら悪人が崇める悪魔に…)。
この行為一つをとってみても、カルト宗教に入ってしまった人の特徴と同じことを表しています。
そのカルトの特徴とは、人が自分の頭で考えないようにすること。その為にも、上層部は、無駄に物事を複雑に話しては、なんとなくそれらしきことを言っているかのように振る舞って、人々を混乱させ、終いには、思考停止状態に持っていく…
カルトの世界は、指導者に従って認められることが重要視されるようで、指導者の意見に従ったり、機嫌を伺ってさえいればいいので、指導者が言っていることが正しいかどうか、自分の頭で考えることからは自然と遠ざかっていきます。
この構図は、会社勤めをする人の働く環境においても同様に、自分の頭で考えて仕事をするというよりは、常に上からの指示に従って仕事をしなければいけない、少なくともそのような雰囲気が漂っています。
そのため、上司に認められるために仕事をする人が本当に多いこと…
東京で働いていた時の私は、そんな同僚の立ち振る舞い方を見ては、人々はなんのために、どんな自分になりたくて仕事をしているのか疑問でした。
仕事をする目的が上司に気に入られることになってしまうと、あちこちで無駄が出てきては、どんどん複雑化していくので、そんな上に媚を売るような同僚と一緒に仕事をするのは、煩わしい以外の何物でもありませんでした。
救いのない無宗教社会のように、本来の目的を見失ったプロジェクト内容からは、もはやなんのためにこの計画を行うのか、肝心な部分が抜けていきました。
決まって、横のつながりの人間関係も複雑になっていき、誰々のやり方は良くないなどとぶつぶつ文句をいっては、味方を増やしたいがために周りを取り込もうとしたりする無駄が発生するという、悪循環。
仕事をしにきているのか、自分に同調してくれる仲間を探しにきているのか、全くもって意味不明でした。
そんな私の社会に対する疑問に対して、理に叶う答えを与えてくれたのがRaptブログでした。
そこには、宗教には本物の宗教があったこと、本物は徳を高めるものだったことが記されていて、それを知った私は宗教というと悪いイメージばかりが先行していた理由を含めて、非常に納得することができました。
○本物の宗教は人の徳を高めますが、カルトは人の徳を貶めます。しかし、なぜかこの世にはカルトに入って活躍し、光り輝く人がいます。
誰からも聞いたことがなかった宗教の話に、「本物の宗教は人の徳を高める」という美しい言葉の響きに感動しました。
私は、いつの頃からか、ことわざとか、名言と言ったものを読むのが好きでした。短い文章のなかに「なるほど」と思うことが凝縮されている言葉、それらを読むだけで賢くなったような気分に浸ってみたり。
Raptブログに出会ってからは、興味のなかった政治・経済・歴史などの分野の話を、それも長文にも関わらず興味深く読んでいる自分に気づきました。
そうして世の中のカラクリに気づけば気づくほど、無宗教社会が作り出した矛盾にも気づくことができるようになりました。
私は、10年以上前にテレビを見なくなってから、マスコミが嘘で人々を洗脳していることや、そんな嘘も嘘だと分からずに信じて何度も聞いていれば、いつの間にか常識であるかのように錯覚させられる社会で、人々が生活していることにも薄々気づいていました。
ですが、無宗教というカルト思想の中で暮らしていたとは、到底気づきませんでしたし、まさか、救いのない世界を作るために無宗教があったとは想像を絶するものでした。
それが大本教などのカルト宗教が目指した世界であることが理解できるようになると、それを逆手にとって考えてみれば、救いのある世界を作るためには、本物の宗教しかないことに行きつきます。
救いのない世界では、マスコミが垂れ流す情報を受身で聞いて、自分でものを考えられないようになってきました。
救いのある世界では、真理の御言葉を自発的に聴きたくなるし、深い内容の話を聞いたり、今まで分からなかったことに対する答えが出てくるという本当に素晴らしい体験ができています。
こうして、真理の御言葉を聞いて悟ることができると、自分の頭の中にこびりついていた嘘の常識や間違った考えがなくなっていくのです。
自分の頭の中が正しい言葉に入れ替わっていくと、世の中に氾濫している嘘の情報に惑わされることも自然と減っていきます。
こうしてたくさん悟ることができれば、世の中のカラクリもより明確に理解することもできますし、たくさんのことが分かるようになれば心配事がどんどん減って、心に平安を得ることができるのです。
これが救いのある世界。
その真理の存在を知れば、上司の顔色を伺って仕事をするようなこと自体が、なんとも取るに足りないことであることに気付きますし、自分のために何一つ為にならない無意味なものであることが良く分かります。
この世の中は、思っていたものとは全く違いました。
世の中の法律やルールを守っているだけでは幸せになることができない理由は、救いの存在がすっぽり隠されてきたからだったのです。
私は、Raptブログでこの衝撃的事実を知り、Raptさんが伝えてくださる真理の御言葉を聞いていくうちに、この偉大なる真理の存在を悟ることが出来ました。
そのおかげで、「無宗教」というカルト宗教が作り出した思想から抜け出すことが出来ました。そうして今までに経験したことのなかった心の平安を得ることが出来るようになりました。
この救いの御言葉こそが、愛の賜物です。
救いのない現代社会に欠けていたのは、まさに愛の存在でした。その愛の存在こそが神様であり、その存在を隠して人々が救われることのないように、彼ら悪人の奴隷でい続けるようにとしてきたのが、大本教などのカルト宗教でした。
私たちは、神様の偉大なる歴史の中に生きていたのです。
にも関わらず、唯一の人々の救いである神様の御言葉から遠ざけられ、本気で悪魔を崇める悪人たちが作った法律・ルールの中で、それに従って生きてきたのです。
だから、本当の幸せの意味などわからないままに、目先のことに捕らわれては、ひたすら救いのない、間違った道を歩んできた…
人は誰しも幸せになりたいと願って生きているはずです。
ならば、真理の御言葉を聞いて、今まで間違った道を歩み続けてきたことを理解して、軌道修正をしてこれからの人生をいきたいと思いませんか?
コロナパンデミックは、神様の存在を人々からずっと隠してきた悪人達によって引き起こされました。もう一度そのことをじっくり考えて、真理の存在に気づいて欲しいと願います。
そして、愛の御言葉を聞いて、分からなかったことの答えをたくさん受けて、本当の意味での心の平安を得て欲しいと思います。
心の平安無くして、幸せな人生を歩むことはできません。
幸せな人生とは、分からなかったことが分かるようになっていくことで不安から解放されることであり、何か行動を起こす時にも分かってから行動することができるようになることでもあります。
これがどれほど確実な人生の歩み方であるか、想像して見てください。
その具体的な方法をRaptさんが御言葉から惜しげも無く伝授してくださっています。
人の徳を高める本物の御言葉が聞ける唯一の場所はここにありました。