ふと、人生を振り返ってみる。
私は、いったいどこに向かって走ってきたのだろう?
ごく普通の家庭に生まれ育って、学校に行って、働いて、疲れて、移住した。
これまでの40年強の人生を振り返ると、心の中から不安が無い日よりも、何かしらの心配事を抱えて暮らした日の方が圧倒的に多かったなと。
記憶を辿ってみれば、小学校2年から卒業するまでは、在日の男子にいじめられ続けたし(先生は助けてくれなかった)、
中学に入って、生徒数もクラスも増えて、その男子から離れることができたけど、常に何かが心配だった。
放課後に部活をして体を動かしているときだけが、不安感や心配事から解放されたけれど…
そんな状態や環境で学ぼうものなら、集中することなんてできず、中間や期末テストのたびに、静まる時間帯を求めて、夜遅くまで起きてみても、学ぶ(暗記する)どころか、教科書を読んでは眠気が襲って、金縛りにあるのがオチ。
高校に入ってからも、いじめに遭うことはなかったけど、学校の先生の個々の生徒に対する対応や、部活生活から感じた様々な不公平感。
思い起こせば、随分と暗い10代の生活だったけど、海外に住む親戚から帰国するときにもらった、お土産の絵本やお菓子のパッケージデザインに惹かれて、いつしか海外に行きたいということが明るい夢になっていった。
そうして英語の勉強と面接だけでいける推薦枠で、短大の英文科に入ってみた。
高校までずっと共学の環境に身を置いていた私は、短大に入って女子ばかりの環境にしばらく馴染めず…
(共学だからといって、会話するのはいつも女子の友人達だけだったけど)
女子しかいない環境から作られる雰囲気は、なんとも殺伐としたと記憶している。
そんな短大で、英語の勉強をした訳だけど、、、気づけば、次のステップはみんな普通に就職すること。
バブル経済が崩壊した時と同じくして私の就職活動は始まった。
履歴書は、手書きで軽く100通は書いたけど…
世間では就職難が始まっていた頃。
なんとか世間一般でいう入社時期前までには就職先が決まったものの…短大卒の女子は、働き始めて3年くらいの間に、会社で旦那を探して結婚するみたいな風潮が少なからずあって、人の人生って、ずいぶん限られた中で生きなきゃいけないんだなって不思議だった。
勉強して、短大なり大学なり行って、そこで結婚相手を見つけて、男性はそこで一生働いて出世することが次の目標になって、女性は子供を持って家庭に入るみたいな。
何に向かって人生走ってきたんだろう?
そんなある意味単純な質問の答えすら持たずに、周りと同じように生きようとしたところで、幸福感は湧かないし、もちろん不安や心配が心から消えることはなかった。
日本にいた時の私は、結婚することなく、何度と転職を繰り返しては、常に新しいことを求めていた気がする。
とは言え、社会に出て働くという限られた中で。
20代後半からは、残業続きで、タクシー帰りの日々を過ごした。
それでも仕事が終わらない気がしては、休日出勤したり。
周りからは、そんなに働いてばかりいないで、結婚相手を見つけて子供を産んで家庭に入った方が良いよ、と何度と言われた。
何に向かって走っていたんだろう?
残業と周りからのプレッシャー、先が見えなくなって、海外移住が次の夢に。
振り返ってみれば、私の人生選択って、一般的な女性の人生を歩むことに疑問を抱えるばかりに、その環境から逃げ出してしまった感じ。
逃げ出した後でラプトブログに出会って気づいたことはこちら→(海外移住しても救われない。自分が変われば、どこにいても幸福でいられる。)
そうして今もカナダにいるわけですが、、、
ある時、カナダ移民してきた中国人に対する冗談を聞いた。
「中国という共産主義国から逃げ出してカナダに来てみたものの、現状は、もう一つの共産主義国に移動したにすぎないね。」
これを聞いた当時の私の心境は、かなり微妙…日本から逃げるようにして移民してきた先が共産主義国の手が伸びていたところだった!とは。
その現実を理解するようになるまでには数年かかったけど、ほとんどの移民者にとってカナダはイメージの良い国。
だから、カナダを共産主義国呼ばわりするような移住者はいないし、カナダで生まれ育った人の多くは、カナダは先進国だと思って疑わないから、気を悪くするかもしれない訳で…
そして世界的に起こっているコロナ騒動。
それを引き起こした犯人がなんと創価学会だったという衝撃的な事実がラプト理論で明らかになってからと言うもの、現代社会で常識とされていることも元を辿れば、創価の根底にある大本教の宗教思想だったとは。
【常識を破壊せよ!!】この世の全ての常識は、大本教の宗教思想だった。
さらに、池田大作はなんと中国人で、コロナで来年に延期された東京オリンピックは、創価学会と中国共産党の祭典だったと言う…
中国共産党は、創価学会の初代会長・牧口常三郎の50歳の誕生日(1921年7月23日)に発足。
さらにその100年後の2021年7月23日に、東京オリンピックの開催が決定。
つまり、東京オリンピックは創価と中国共産党の祭典!!https://t.co/MnkVKinSkg
だから、エンブレムも創価のロゴに変更されたわけだ。 https://t.co/pjF7g6WFCB pic.twitter.com/ZZyCTPDcji
— 時計仕掛けのオレンジ (@9n7eWQtutsamatw) September 10, 2020
中国共産主義や、創価学会などのカルト宗教とは無関係に生きてきたつもりの自分の人生が、なんと、その思想にどっぷり使って生きてきた(「無宗教」というカルト思想から解放されて、心の平安を得ることができるようになりました。)ということが分かって、
私の人生で経験してきた不公平感や不条理、一般的とされていることへの疑問、常につきまとってきた不安や心配の原因こそが、創価学会に繋がったという…
言葉を失いますね。
日本にいた時から、そして今ではカナダでも、そして世界中どこにいても、多かれ少なかれ、私たちは彼らの嘘で作られた罠の中で生かされてきたのです。
だから、その思想の元に作られた常識の中で、幸せになろうと思ってもがいては、やれ健康ブーム、やれスピリチュアル、やれヨガだ、、、と、彼らの金儲け話に足を突っ込んでしまうようになっているのが、厳しい現実でした。
RAPT×読者対談〈第87弾〉過剰な健康・環境ブームも悪魔崇拝から始まった詐欺目的のデタラメ話。
RAPT×読者対談〈第84弾〉自己啓発もスピリチャル系も悪魔崇拝。
RAPT×読者対談〈第83弾〉アーシング、イヤシロチ、ヨガ……。余りに巨大な悪魔崇拝への入り口。
とはいえ、世の中には社会の仕組みになんの疑問をもたない人もいるので、そういう人たちにとっては、世の中は不公平なものとして受け入れては、真実を追求することの方が怖いことなのかもしれません。
今回、コロナをきっかけに、コンピュータ管理の社会「スマートシティ」を世界的に作ろうとしているのが、大本教の計画を実行に移した創価学会であることがラプト理論で暴かれました。
【完全解明!!】コロナパンデミックは、大本教・出口王任三郎の計画的犯行だった!!
これまでにも、この世の中のカラクリを様々な事件・事故を通して真相を追及してきたラプトブログ。
世の中には、今こそたくさんのユーチューバーやブロガーなどが、それぞれの政治的立場を持って、真実を知るべきだ、覚醒しろなどと言っていますが、そこには、嘘も本当も混ぜこぜに語られているものが多く、人々は混乱させられるばかり。
今回ラプト理論で分かったこと、GoogleもYouTubeも創価関連企業だということ一つとっても然り。
Googleのサーチエンジンは、創価の悪事がバレるような記事は、検索に上がってこないように仕組まれていました。
そんな、この世の誰も暴けなかった複雑に入り組んだ社会のシステムとそのカラクリを、シンプルに解いてくれたのがラプトブログ。
そこから、過去に起きた事件・事故をはじめ、世の中のカラクリを知ると、嘘のような本当の話、彼らは悪魔を本気で拝んでいたことに繋がるのです。
創価学会のようなカルト宗教思想というのは、まさに、悪魔の思想な訳なのです。
池田大作と上行菩薩と日蓮聖人と法華経とサナト・クマーラと鞍馬山の関係。創価学会が悪魔教であるという歴然たる証拠。
このような壮大な話が隠されてきたと知った今、自分の人生を振り返ってみると恐ろしくなります。
ラプト理論を知らずに、あのままカルト思想が作った世の中の常識に従って、その思想をもとに作られた社会システムの中で、「引かれたレール」に乗るだけの人生を歩んでいたなら、、、それは、ただの生き地獄。
だから、不安や心配が付き纏うのが当たり前だった訳です。
不安や心配が付き纏うのが当たり前の人生なんて、本来は、当たり前じゃないのです。
だから今こそ、常識とされてきたことを破壊するとき。
その方法もラプトブログにあります。
世の中のルールに従っても幸せになれない原因は、この世の中に存在する目に見えない法則があることを理解できなかったからにほかならないのです。
その法則こそが真理であり、人々が抱える不安・心配から解放されて幸せに生きるための原因でした。
人間がロボットのように扱われるような奴隷社会から抜け出し、本来の人間らしく生きられる自由を勝ち取ってほしい、そう願って止みません。
RAPT有料記事491(2020年8月22日)自分の評価も他人の評価も全く何の意味もない。ただ主が評価した通りに、あなたの運命が決まるからだ。
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