人は大きな壁にぶつかって痛い思いをしたときに初めて、自分が取った行動や、人生の選択の過ちに気づくものだと言われています。

子供のいる人たちは特に、親である自分たちが経験してきた痛い目にあったことや、耳にしてきた情報などをもとに、子供たちに「こうしたほうがいい」「ああしたほうがいい」などと説教をたれたりもします。

子供たちは子供たちで、聞きたい情報を持っている人のアドバイスを元に、人生を歩んでいき、親の説教を無視したりもします。

親が反対する事を子供がすれば、親は、社会にもまれて、壁にぶつかりながら学べばいいと、自分の話・アドバイスを聞かない子供をつけ離したい気持ちにもなったりします。

そんな様子をずっと見てきては、人生経験の長い親たちは正しい事を言っているに違いないかのように感じさせられてきました。

しかし、私は真理の存在を知ってから、その考え方自体が間違っていたことに身をもって気づかされました。

自分たちの人生経験のみでアドバイスをする親たち自身が、知らずに生きてきた、人々の根本にあるべきだった真理。

その目に見えない真理が欠けていたから、親自身たくさんの壁にぶつかってきたし、壁にぶつかって自分の考えだけでどうにかしようとしてきたから、上手くいかないことばっかりだったことに未だ気づけていないということが、分からないのです。

だから、歳をとっている分、人生経験が多い分、親の言うことは聞くべきだと頑固になったり、傲慢になったりしていきます。

そんな中、一番たちが悪いのが、そんな真理に気づかない親たちが陰謀論にハマることです。

今までの痛い経験や子供が自分の話を聞かない理由を、陰謀論から見つけてしまうという危険。

こういった周りにいる親たちを観察していると、有名陰謀論者たちのアジェンダが良く見えてきます。

それは、有名陰謀論で暴かれる話こそが真実であると思い込ませ、それを信じた人々の思考を凶暴なものにしていくことです。

その凶暴性を煽られていることに気づかずに、彼らは、彼ら自身が信じる陰謀論を理解しない自分の子供や周りにいる人々を、無知だの弱虫呼ばわりしては、周りにいる人々を遠ざけていくのです。

そうして、人の話を一切聞き入れなくなっては、「自分は世の中のことを知っている」と言い切るようになった人を私は知っています。

その彼は、自分の自由が奪われたのは、やりたい放題の政治家たちを野放しにしてきた弱虫な人々のせいだとくくるのです。

そして、トランプ大統領こそがアメリカを始め、人々の自由を勝ち取るために活動をしていると言っては、アメリカの秩序を守る、自由・平和を守るのは、銃の保持であるという主張を永遠と語ってくるのです。

真理を知らなかった頃の私は、彼の話を聞いていましたが、真理を知った私は、彼こそがイルミナティの内部争いに知らずに加担していることが見えてきました。

何度と真理の話をその彼にしては、少し落ち着いたような瞬間がありましたが、なんせ目に見えないものを信じられないようなので、目に見えるものだけを信じると言い切るようになりました。

さらに、人の意見を何一つ聞き入れないだけではなく、「彼が正しい真実を語っている」を主張して止まらないので、ほんとうに面倒臭い人になっていきました。

この彼自身はイルミナティのコネクションがあるわけではないので、イルミナティを敵対しているはずですが、実は、イルミナティの内部争いに参加している…

この彼のように、頑固になったり、傲慢になるということは、新しいことや自分が信じるもの以外学ばないという、実は本当に恐ろしいことであることにも、真理は私に気付かせてくれました。

RAPT有料記事431(2019年12月28日)主の前で何の疚しさもない状態まで悔い改めてこそ、サタンは私たちの中に侵入することができない。

知り合った頃の彼は、とても温和な寛容な人でした。

ですが、カナダの政治の支配、特に税金の取立てが激しくなって行くと共に、一昔前のように稼ぐことが難しくなった現状に憤りを感じては、良き時代の話ばかりするようになっていきました。

日本のバブル経済で恩恵を受けた人が、恩恵どころか、人生をかけてきた仕事を失い、自分の年金は自分で貯めろと言われた現状と意味合いは似ていると思います。

そうして陰謀論にハマっては、彼こそが、聞きたい話をしてくれる有名陰謀論者の罠にまんまとハマってしまったのだと感じざるを得ません。

とは言え、一度、二度は、私の信じる真理の話を聞いては、クリスチャン人口が多かったカナダで生まれ育った彼は、目に見えないのに現実的なその話をむげに否定はできない感じでした。

ただ、彼のマインドはどこまでも悪魔に乗っ取られてしまったのを感じざるを得ません。

なぜなら、真の自由や平和を望むのに、凶暴性を持つ発想は相反しているからです。

その矛先が私にまで及んでは、アメリカの歴史および自由を求めるアメリカ人のことを知らないと、無知のレッテルまで貼られました。

(私は聖書を読むようになって、もっと長い歴史と、根本的な真理のことを知るようになったので、彼に言われたことは府に落ちませんでしたが、口を閉じることにしました。)

彼こそ救われて欲しいと願って、彼のような人々のためにも祈ってきましたが、それぞれが自分の持つ罪に気付いて、悔い改めることをしない限り、救われないのだと改めて気づきました。

人のことは自分のことよりも分析しやすいものですが、こういう一つ一つの小さな罪が、私たち人間にはあって、それが私たちの成長を止め、成功しずらくしてしまうのだということが、今はわかります。

人は、歳を取れば取るほど、自分は知っている気になって傲慢になったりしますが、この傲慢が罪とされる神様の御言葉は、まさに愛の言葉です。

傲慢さは、思考を停止させてしまいます。思考が停止したら、人は何も学べないし、何も学べないから人として成長することはないのです。

そのほかにもたくさんの罪がありますが、その罪に気づけるということがどれほど幸いなことか、それを教えてくださったRaptブログとの出会いから、私はどこまでも強さをいただきました。

そして幸福な平和な人生を求めるなら、自分の罪に気づく以外、問題を回避したり、解決したりできないのです。

逆に自分の罪を認めて、悔い改めれば、どう問題を解決したらいいのかが見えてきます。

そこには銃の保持で秩序を保つような凶暴な考えは全くと言って不要なのです。

真理は揺るがぬ強さを与えてくれます。

要は、それを信じるか信じないかの違い。

私が彼に伝えたいことは、この真理である神様の存在を人々は知らないで生きてきたから、人々は弱くなってしまったのだと言うこと。

その信仰なくして、自分は強い気になったり、傲慢になったりしても、何の意味もないどころか、真理を遠ざけてしまうこと。

傲慢さを悔い改めたから見えてきた多くの真実。

私は、どこまでも真理を求め続けていきたいと確信した年末でした。

来年こそ変わりたい、そんな風に感じられている方は特に、Raptブログ読んでみてください。

唯一、凝り固まった自分の考え方を取り払うきっかけをくれる、真理の読み物です。

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