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真実は、Raptブログに。

タグ: 悟り

人のため・自分のために生きてきた人生から、真理を求める人生へ

 

コロナパンデミックで世間はすっかり活気を失い、仕事やビジネスを失う人が日に日に増えて、そのストレスに気が狂いそうになったり、自殺者も出てきています。

こちらでも、高速道路をまたぐ橋の上から飛び降りる人が出てきていたり、家賃を支払うために若い20代の女性は自分の卵子を売って稼いだり、オンラインで家賃を代わりに払ってくれそうな人を探したり…

世の中の混乱状態は悪化する一方です。

そんな中、家賃を払わなくてよかった生活から、家賃を払い始める生活に向けて少しづつ動き始めました。

今までは事実婚パートナーの家に住み、その彼の仕事を少し手伝う生活をしてきましたが、40代半ば、新たな人生の始まりです。

コロナ騒動のため仕事を探すのが結構大変な状態で、ある求人に応募したら、なんと競争率1500倍…

そんな状態ではありますが、パートナーの人生の中で生きてきた私の人生から、真理を求めて生きる人生を歩むことにしました。

自活ができて、引っ越してから証を書こうかと思っていたのですが、数日前に、パートナーにこれからは別々の人生を歩む話をする機会を持つことができたので、途中段階ではありますが、証を書くことにしました。

ここに至るに当たって、前回の証でちらっと触れたのですが、私の書いたあるツイートをきっかけに、私が見過ごしていた重大なことに気づかせてくれた、姉妹の方が2名いらっしゃいました。

そして下記の記事に出会うことができました。

VOL.118 異性の罪について、または主に使われる祝福について。

私は、去年の初夏から有料記事を読み始め、少しづつ過去の記事を購入するようになっていましたが、この記事や他の過去の記事を十分に読めていませんでした。

さらに、10年付き合ってきたパートナーとの事実婚を、勝手に結婚と同様に捉えていた自分がいたので、相手に迫害されるようなことがあったら、別れようと勝手な解釈をして来てしまったのです。

信仰歴が未だ一年未満と浅い私ですが、従おうと努力し、今年に入ってからは特に御言葉に従って、情報拡散やブログ書きを行い、新しいことに挑戦の一つとしてユーチューブ動画も作ってみました。

こうして世の中の情報に触れる機会が増えて、肉的なことに夢中になっては、体にかかる負担が増えて疲れていきました。

肉的に偏って、霊的なことがおろそかになっていた事に気づき始めたそんな時にツイートしたことをきっかけに、最大の盲点に気づかされることになりました。

その気づきがツイッターのフォロワーの方から来たこと、正直なところ、一瞬どう捉えたらいいのか戸惑いましたが、年末にパートナーと言い争いになった時、これは迫害か?と、その明け方に神様について生きますと宣言していた自分を思い出しました。

にも関わらず、その時はまだ事実婚=結婚と捉えていたので、裁きの翌日に「君の言い分は理解している」的なことをパートナーに言われ、それからは私の明け方の祈りの時間を理解してか、朝食を自分で食べて出かけるようになってくれたので、迫害が消えたかのように思っていました。

とんでもない、そもそもの理解が間違っていたんですから…

今思えば、仮に今、入籍しようと彼に言われても、その結婚は決してうまくいかない事は分かっているのですから、そう考えれば事実婚は結婚していることとは違うことが分かります。

そうこうして答えを求めて過去の御言葉読み、聖書を読み、霊的により時間をさくようになっていた時に、別々の道を歩む話をする機会は自然にやって来ました。

特別心を決めてこの日に言おうと計画を立てて言ったわけではありませんでしたが、異性の罪を犯していたことに気づいてからは、「すんなり別れることができますように」とお祈りしていたので、そのように神様が導いてくださったのかもしれません。

この罪に気づくまでは、彼にもこの真理の存在を知って、救われて欲しいと願ったこともありました。

でも同時に、二心状態では、彼が真理の存在を悟るようにといくら願っても、叶わないことにも気づきました。

別れの話に彼はまさかそんな話が出てくるとは想像もしなかったようですが、無宗教だと思って40数年生きてきた日本人の私が、クリスチャンの道を行くと言うので、神様の存在を否定してはいなかった彼も、これはただ事ではないように感じたようです。

さらに、彼の友人の知り合いの20代の女性が、実際に卵子を売って家賃を払っている人の話を聞いて、どれだけこの世の中が堕落してしまったかを考えたら、私がクリスチャンの道を行こうとする意味が少し理解できたようでした。

私にとって罪であることは、彼にとっても罪です。と言うことは、このまま関係を続ければ、二人の意見の違いから喧嘩が増えて行くだけでは済まず、二人とも救われることはありませんし、ましてや人を救うこともできなくなってしまいます。

今まで彼の人生の中で生きてきた私は、自分で人生を選択するというよりはどちらかと言うと、ただついて行くだけの存在になっていました。

そうして日々生活してきては、諸処にぶち当たる困難。なんで物事がスムーズにいかないのか、問題が多々あるのか分かりませんでした。

この異性の罪に気づくまで、そんな状況を心のどこかで相手のせいだけにしていた事にも、最近になってようやく気づきました。異性の罪は、相手にも私にも両側に当てはまるのに。

その上、私は相手の所有する家に住み、外に仕事に行くわけでもなく、自活できていませんでした。そう思ったら、パートナーとの関係において罪深いのは私の方だったかも…

いづれにしても、私が出て行く事で、彼も異性の罪から離れることができるので、何をするにも困難だった状態から少しでも解放されるかもしれない、そんな風にも感じるようになりました。

パートナーは、友人達と共に北米の陰謀論をいつも聞いていました。みんな決まってトランプに好意的になっていきました。

で、悪者はカナダのトルドー首相。いやいやみんな悪者ですが…と言いたいところでしたが、そんなことがポイントではないので口を閉じました。

私の信仰が日に日に深まって行くにつれて、彼らの中には、どんどん発言が凶暴になって行く人をみては、残念に思うようになっていきました。

こうして、真理の救いから遠ざかって行く様子を目の当たりにして、心苦しくなっていきました。

ある日、パートナーの友人の元クリスチャンと話す機会があった時、この彼は「イエス・キリストのように十字架にかけられたくない」と言いました。

それを聞いたのは、私が信仰を持ってからまだそれほど月日は経っていませんでしたが、そう言う解釈をしているのかと悲しくなりました。

「自分さえ良ければいい」「自分を守らなければ」と言う考えが先立っているとしか思えず、非常に残念に思ったのを覚えています。

真理の御言葉を聞いて悟れていたら、そのような発想には陥ることはないのに…

お金を稼ぐ事で成功したような気分になるような社会に生きてきた結果、このようにして人は自分のことで精一杯な気持ちになって行くのだと思いました。

確かに、政府の作る法律が増えたり、税金が増えたり、日々の請求書や家賃および住宅ローンなどの支払いがあれば、それを支払うことが日々の悩み事とになって、人々の生活を支配してきました。

でも、真理の存在とその世界がどのような仕組みになっているかを知るようになると、お金を稼ぐために頑張っても、その先に真の幸せなどないことが分かります。

現に、別れ話の時に彼は「何が正しいのか、もう分からない。」と言いました。

この言葉には、彼の老後計画の中には一応私の存在があって、彼なりに頑張って日々暮らしてきたところに、ずっと彼の人生の中で暮らしてきた私が出て行くと言うので、私には確固たる確信が持てるもの=信仰があること、その信仰は、彼のクリスチャンの友人からは見たことがないものだったのだと思います。

Raptさんの伝えてくださる神様の御言葉は、どこからどうとっても紛れもない真理で、その言葉の深さは一言では言えないけれど、別れ話の時に仮に一言で言うなら、「真理を知ったら、正しい道がそこにしかないことがわかる」と伝えました。

これこそが進むべき道。

彼が納得するように話すためにも加えて伝えたことは、「貴方は、そのつもりはなかったにしても、いつもハードな道を歩んできた。ハードな道を歩む事になってしまったのは、真理とその世の法則を知らずに行動していたからだと言うことが分かった。だから、あえてその道=間違った道を歩むことはできないし、貴方にも歩んで欲しくない。」と言いました。

意見も性格も強いパートナーは、今まで彼自身を疑うことはそうそうありませんでしたが、「僕も変わりたい。」と言いました。

そんな発言がまさか出てくるとは到底想像もしていなかったのでビックリしましたが、真理からくる御言葉から得られる悟り=愛は、説得力があり、本当に強いことを深く感じました。

この異性の罪をはっきりと悟った時も、神様はたくさんの感動を与えてくださいました。また、彼に別れ話をしてからも、さらなる悟りが出てきては、どこからともなく湧いてくる感動を感じています。

そうして、この道こそが正しい道であることを確信することができています。

「僕は君に何をしてあげられるか?」と聞かれ、「何もいらないけど、貴方にも真理を見つけて救われて欲しい。」と言いました。

この異性の罪に私がまだ気づいていない頃、パートナーにも救われて欲しいと願っていたことがありました。あのまま罪に気づかずにいれば、叶うこともなかった願い。

それにも関わらず、この罪に気づいて、それに向かって動こうとしていることを神様は応援してくださっているのか、彼が少しづつ救いの道について、考えるようになってきました。

こうして、神様は導いてくださっているのか、とその深い愛を感じざるを得ません。

そんな深い愛の存在、人々の救いをあらゆる形で遠ざけてきた悪人=イルミナティ。

そんな悪人達は滅びなければいけません。そのためには心の救いを得た私たちが、多くの人にこの真理の存在を証していく必要があります。

今回この罪に気づかせてくださった姉妹の方々、神様の存在は知らずともそれなりに善良に生を送ってくれただろう私の先祖にも感謝しています。

私の母親は、私たち子供のことはもちろん、常に人のことを優先する人でした。言わずとも父親が必要なものを察して、それを行う人でした。

その姿を見て育ったからか、私も人の気持ちを察する(時にうかがう)のは上手な方だったと思います。

おそらくパートナーにとって、察してもらえる状態が心地良かったこと、でもそのせいか、彼の強い性格も重なって、彼は人の気持ちを察することがあまりできない人になっていました。

だから相手がどう考えているか疑問に思うことがあれば、聞かなきゃいけないけど、聞いたとしても相手がその気持ちをはっきり伝えることができるとは限りません。

私も何度と何を考えているか聞かれても、彼の性格を考慮したり気持ちを察すれば、自分の気持ちを全部ぶちまけることはできませんでした。

でも全てお見通しの神様には、素直に気持ちを伝えることができます。これからは、自分の気持ちばかりを神様に聞いてもらうのではなく、Raptさんのように神様の心情をもっと悟って生きたい。

Raptさんの御言葉から学んだように、神様の心情を理解することができれば、人の気持ちを察することも自然とできるようになります。

そうなれば、上手く相手に真理を伝えることが出来るようになって、人々を救いたい神様の心情を察して行うことにも繋がると思います。

私は今まで人の気持ちを察することしかして来なかったので、これからは神様の心情を理解できる人間になれるようにもがいて成長し、人々を救いのある、その方法が分かる「Raptブログ」に導いていきたい。

そして、神様から受ける愛の大きさがどこまでも偉大であることを、多くの人に知ってもらいたいと思います。

その愛の御言葉はRaptブログに。

幸せになるにも、成功するにも、全ては真理を「悟る」ことから始まる。

人間だれしも、「幸せになりたい」、「成功したい」、そう思ってそれらを手に入れるために、試行錯誤しながら生活しています。

そして、女性なら、幸せになるために恋愛を求めたり、男性なら、成功するために出世を目指して働いてきたのではないでしょうか?

恋愛して幸せになるとか、昇進したりして成功するという発想は、社会が作り上げてきた考え方・思想でしかないのですが、私たちは知らず知らずのうちにその作られた考えが自分の考え方となって洗脳されてきました。

さらに、周りも同じメディアが作り上げてきた考え方を受け入れては、みんなが似たように考えるようになっているので、こうして「幸せ」や「成功」の定義がある意味確固たるものになっています。

一昔前までは、これらの「幸せ」や「成功」は普通に生活していればそこそこ手に入りました。

しかし、近年のあらゆる社会問題を見ればわかるように、従来の「幸せ」や「成功」は、もはや相当努力しなければ手に入れることも、それを維持することも難しくなってきました。

その昔は、デートに出かければ男性が食事をご馳走してくれるのは当たり前でしたが、段々と割り勘になっかと思えば、ミグタウムーブメントなどの動きもあり、男性は、恋愛や結婚はリスクだと考えては、我が道を行くようになったりもしています。

この背景には、終身雇用制が崩壊したり、賃金の低下、ブラック企業続出、さらには毎月払っているにも関わらず、年金まであてにできないといった、お先真っ暗な状況があると考えられます。

そうなれば、恋愛どころか、自分自身を養っていくことで精一杯。夢見た「幸せ」や「成功」を掴むのは容易なものではなくなっていきました。

そもそも、一般的な「幸せ」や「成功」の考え方自体がお金に直結している時点で、私たちは社会の奴隷状態にあるわけですが、その中で生活して入れば、日々のやりくりに追われて、ひたすら逃げ道を探すような生活になってしまいます。

私もそのように考えては、恋愛を求めたり、職を転々としてはお給料を少しでも上げたりすることで、生活していました。

今思えば、本質について考えることもせずに、日々身の回りにある考え方を元に、その考え方自体に賛同するもしないも、将来が見えずに混沌としながら会社で働いていました。

時にそんな状況を紛らすかのごとく人と付き合って失敗したり…

愛の意味を履き違えていた人生に気づかせてくれたRaptブログ。真の愛はここにあった。

迷いに迷って、海外移住をしたり…

海外移住しても救われない。自分が変われば、どこにいても幸福でいられる。

それからもとにかく一般的とされている考え方やメディア情報に惑わされてきました。

世の中で起きてる事件や事故、健康情報、さまざまなムーブメントのほとんどが、「なんだかしっくりこない」。

正しい答えを探し求めては、「答えがないのが人生か」、そんな風に諦めかけていた時に、私はRaptブログに出会い、答えを見つけました。

その答えの一つは、「幸せ」や「成功」を手にいれるのに必要なのは、お金や名誉ではなかったことです。

逆に言えば、お金や名誉を求めるから、いつまでたっても本当の「幸せ」や「成功」が手に入らなかったという事実。

そして本当の「幸せ」や「成功」は、目に見えない存在からしか得られないという、なんとも次元の違う話でした。

目に見えないものにこそ「真理」があり、真の強さが宿っている

目に見えないにも関わらず、その存在はどこまでも頼もしく、現実的な方法を伝授してくれるのです。

まさか、こんな世界があったとは、想像してみたことも、誰かから聞いたこともありませんでした。

疑問の答えを求め続けた結果、導かれたRaptブログでは、この目に見えない存在である真理について、具体的に学ぶことができるのです。

その真理は、なんだと思いますか?霊界について考えたことがありますか?

私は、金縛りにあったことがあったので、霊界とわ言わずとも、悪霊はいるんだろうなくらいに思っていました。

しかし、霊界は存在していて、そこには私たち人間にとって唯一の愛の存在である「神様」がいらっしゃいました。

親も学校の先生も教えてくれなかったその存在は、偉大な存在であるがゆえ、世の中の支配層によって、故意的に隠されてきたそうです。

なぜなら、人々が神様の存在を知ってしまうと彼らにとって不都合だから、人々を騙して支配することが出来なくなるからです。

その支配層が作り上げた現代社会では、彼らの悪事がどこまでもエスカレートしています。

そうして、終いには、老後に2000万円を各自貯めなさいなどと、平気でいうようなのが麻生太郎であり、世界の皇族、政治家たちからなる支配層「イルミナティ」の行う悪事の数々があるわけです。

そして今、彼らの悪事が見事にRaptブログで暴かれ、私のように世の中に疑問を持っていた人たちや、親を癌で無くした人たち、スピリチュアルなどにハマって苦しい思いをした人たち、陰謀論でさらに混乱した人たちなどが、正しい道を歩くきっかけを見つけました。

私もそうでしたが、日本人の多くは宗教アレルギーなので、神様とかって言われると抵抗を感じるかもしれませんが、その考え方こそイルミナティが作り出した洗脳工作そのものだったのです。

Raptブログを読めば、混沌とした世の中のあらゆることがわかるようになって、どこまでスッキリします。

そうして、今まで教わることなくきた神様の存在を、否定したくても否定できないことがわかります。

なんといっても、この真理が抜けていたから、私たちは本当の意味で「幸せ」になることや、「成功」することを知らなかったのです。

幸せや成功を得る方法の答えは、真理の存在を「悟る」ことがまず第一にあったのです。

「悟り」とは神様から与えられるギフトでもあり、それらはどこまでも頭の中をクリアにしてくれます。

確信するということがどういうことなのかもわかるようになります。

私は、40年強生きてきてやっと、様々な疑問に答えを得ることができました。

この感動を一人でも多くの人と分かち合いたい、そう思って、こうして証の記事を書かせてもらいました。

誰にも教えてもらえなかったことを知ることが出来るだけでも興奮ですが、読み始めたら止まりません。

今までとらわれていた古い考え方から解放され、正しい方向へと導かれる、この力強さをぜひ感じてみてください。

新年が始まって、心新たに、この一年で多くの人がRaptブログに導かれて、真理を知って、正しい人生の歩み方を学んで欲しいと願います。

RAPT有料記事241(2018年1月13日)悟りのない者は滅びの道を行き、悟った者は繁栄と祝福の道を行く。

あふれる情報に惑わされた日々からRaptブログは解放してくれた。やっと出会えた人生の生き抜き方

 

Raptブログに出会ってからまだ半年も経っていない者ですが、たった数ヶ月の期間でも、今まで40年強生きてきた中で、誰も教えてくれなかった息苦しさの理由を知ることができました。

無宗教家庭に育って、高校は英語教育に力を入れていると言われる学校に入り、プロテスタント系の短大に行ったにも関わらず、聖書に興味を持って自主的に読むことがないだけでなく、聖書の授業では60点と、その授業をパスするのにギリギリの点数といった、とても恥ずかしいレベルでした。

そんな私がRaptブログに出会ってからその御言葉から気づかされたことは、過去に起きた苦しい出来事の数々は、全て神様を信じることで得られる悟りを知るための艱難であったということがわかりました。

その艱難の一つは、母が白血病だと言われて、何度と長期に渡る抗癌剤治療をして、亡くなるまでの間3年半。

なぜ、母のように何も悪を行っていない人が、一昔前まで難病と言われていたような恐ろしい病に見舞われてしまったのか。

ずっと理解できずに辛い思いをしました。

ですが、誰しもこのような艱難が自分や家族の身に起こらない限り、人生についてどう生きるべきかを考えるという、一見当たり前のように思われることを見過ごしたまま、日々の生活に追われてしまいます。

そしてある日突然、艱難に見舞われては、「神様がいたらこんな災難は起こらないはず。神様なんていない。」

そうやってそこから何も悟ることも学ぶこともなく、だから答えも得られず、ただどこにもやれない気持ちに蓋をしてしまいます。

もしくは、衝動にかられたように神社仏閣に行って願かけをしては、「神様にお願いしたから大丈夫」と、他人任せにして何かをやった気になってしまったりもします。

私の母が入院した時も、そうでした。

無宗教の家庭だったにも関わらず、母が入院した時に家族が真っ先に行こうと行った先が神社でした。

私的にはそれがとても不思議でしたし、ある意味、都合よく災難が起きた時だけ神頼みをするなんて、返って罰当たりな感じすらしました。

当時の私は神様の存在をよく理解していませんでしたが、神社には神様はいないような気がしていました(実際、悪魔崇拝の場であったとは…)。

それに神社に行く時間があったら、気落ちしているだろう母の病室に顔を出す方が先にすべきことではないか、とも思いました。

こういう時に、人間が取る行動の背景には、普段から蓄積されてきた受け身の情報が垣間見られるものだ、ということも分かりました。

「お医者様の言うことを聞けばよくなると信じて」「芸能人にも同じ治療をする」これらの言葉は、家族にある種の安堵感を与えたようでした。

しかし、私はインターネットで毎晩夜な夜なありとあらゆるものを読み漁っていたので、母の病院生活の中で観察したことと読み漁ったことの間には、腑に落ちないことばかり。

とは言え、入院しているのは私自身ではないので、勝手にこうしたい、こう思うなどと言うことすら無意味な状態、むしろ、家族と対立するだけでした。

家族には理解してもらえないやり切れない思いを、病院に通う道中空を見上げながら、一人心の中で気持ちを吐き出し、頭の中を整理しようとしていました。

この時にはまだ神様の存在を確信してはいませんでしたが、Raptブログに出会って御言葉を聞くようになってから、あの時も、神様が私が悟りを得られるように見守っていてくれたのではないかと思います。

母が入院するようなことがなければ、真剣に情報収集をしたりすることもなかったでしょうし、家族と自分のもつ感覚がここまで違うことにも気づかないままだったと思います。

また、母が入院してしまったことと家族との葛藤があまりにも辛くて、家族以外の昔からの友人に話をしてみても気分が晴れることはもちろんなく、本当に神様のような存在以外、私の悩みに対して答えをくれる人はいないのではないかと、神様の存在について考えるようになりました。

空に向かって自分の中に抱えている葛藤を考えている時だけが、母親の治療のことを考えて出てくる不安や、家族との意見の相違についてイライラするといった負の感情から解放されました。

とは言え、急に神様の存在をどう理解したらいいのかも分かりませんでしたし、どう対話したらいいのかもわからないままであったのは、言うまでもありません。

また、あの時神様の存在をはっきり理解していたら、意見の違う家族との間で私はさらに苦しい思いをしていたかもしれないとも思ったりもします。

母親の入院中にあったもう一つの大きな悩みは、カナダで勤めていた職場を辞めることになったことでした。

母親の入院が長引き、当時勤めていた職場の上司は数ヶ月ほど私の戻りを待っていてくれたのですが、ある時メールが来て、「7月から戻ってこれないなら、これ以上は待てない。」と言われました。

迷いましたが、母が退院するまで側にいようと決めて、退職することにしました。

カナダに戻っても職場を探すところからまた始めなければいけないこと、給料が途絶えた不安がありましたが、この経験がのちに会社奴隷に戻るのではなく、ブログなどの在宅で日本でもカナダでもできる仕事探しのきっかけとなりました。

これなら隙間時間を使って、在宅でお小遣い稼ぎができるかも?そんな気持ちで始め、いくつかの有料記事を購入したりして、ブログ作りをして見たものの、そう簡単にはお小遣いを稼ぐことはできませんでした。

Raptさんのある日の御言葉で、「世の中そうそう簡単に稼げる方法などない。」と聞いてからは、それまで変にしがみついていたお金を稼ぐことが成功のような考え方を、綺麗に払拭することができました。

神様から答えを得て救われたと感じた瞬間の一つ、お金持ちになったわけじゃないのに、すごく気持ちが満たされて楽になりました。

こうして、御言葉に従っていけば、艱難に見舞われても、「悟り」を得られることで迷うことなく、人生を有意義に生き抜けると確信しました。

悟りを得るタイミングも神様は見計らってくださっていると感じています。

母親を亡くしたことへの気持ちの整理には時間がかかりましたが、その間も、何度も「知らぬが仏」なのだろうか、「物事起こるべくして起きる」とはどう言うことなのか、真理を求め続けました。

そうしてRaptブログと言う、世の中の隠されてきた秘密を見事に解き明かす「神業」の学問に出会うことができました。

有料記事で御言葉を聞くうちに、現在起きていることだけではなく、過去に起きたことからも、「悟る」と言うことの意味を知ることができ、「物事は起こるべくして起きる」と言うことがわかるようなりました。

「真実とはこういうことだったのだ」と、衝撃を受けるとともに、深く感動しました。

この御言葉に従順に義を行なっていけば、正しい生き方ができると確信するとともに、物事を善と悪に区別することができるようになることを、Raptさんが明かして下さっています。

これが人生を生き抜く方法なんだと迷わず前進して行くことができると、今まで得たことのないエネルギーを感じています。

最近では、私の物事に対する発想や発言が変わって来ているようで、今までは、ああでもない、こうでもないと陰謀論系の話を挑戦的に持ちかけて来た友人が、言い返してこなくなりました。

さらに、私には直接言わないものの、この彼と共通の友人と会う機会があった時に、「あのなんかすごい感じの人は最近なんて言ってるの?」と聞かれたりもしました。

挑戦的な友人がどうも共通の友人に Raptブログの話をしているようです。

今まで目にしたり、耳にしたり、親や学校の先生に言われてきたりしてきたことの中に、一切含まれていなかった、本当の世の中の仕組みに、その中で生き抜く方法。

それを知らずに80年も100年もの長い人生を楽しく生きたいと考えるから、それはそれは惑わされたり、騙されたりの連続でも仕方がなかったと言えるでしょう。

世間の父親が子供に言うように「私の家で生活する間は、私の規則に従え」ではありませんが、神様に与えてもらった人生を、神様に従わずして生きたとして報われるどころか、生き方がわからなくて当然です。

そうやって迷っているすきにサタンがやってくる。そのサタンによって支配され続けてきた。

Rapt様の御言葉を通じて、自分がこれから残りの半生をどう過ごしていくべきかを日々悟り、たくさんの悟りを得られるようにするためにも聖書を読んで行きます。

私はカナダに住んでいるので、いづれはRapt様の御言葉から悟ったことを、迷える人々に英語で伝えていけるようにして行きたい、それが私の夢であり希望です。

生き方に迷う、真実を求める多くの人にRaptブログの有料記事を読んでもらえますように。

最後に、Kawataさんのブログを参考に、Raptブログ「誰でも世界を変えられる」のYoutubeビデオのリンクを貼らせていただきます。

あなたも、私も、誰でも世界を変えられる。

壮大な話のように思えますが、世の中の秘密を暴いて恐怖を煽るような他の陰謀論者と違って、Rapt様はこの混沌とした世の中をどう生きるべきか、その方法を具体的に示して下さっています。

こんな最強な御言葉は他にあり得ません。なぜなら神様からの愛の啓示だからです。

一人でも多くの世界中の人にRaptブログが広がり、一人でも多くの人が救われて有意義な人生を過ごされることを切に願います。

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